おふさ観音円空庭

織田長益の四男、長政を初代藩主とする芝村藩に仕えていた前部重厚が明治維新後、奈良県に勤め奈良公園整備に貢献した。この庭を作った前部重厚は儒学者だったので儒教の教えを庭に吹き込んだようだ。

鯉の池と亀の池、二つの池に挟まれた土手小道(通路)の先に五輪墓石があり、その左隣に二つの碑文石が立っている。庭の中心石は五輪墓石なのか、二つの碑文なのか、或いは茶坊おふさ側に立つ石灯籠なのかハッキリしないところが近代庭園らしい。商家の庭のように狭い庭に池を深く掘り込み、堅牢な護岸石組にて池を守り、竹筒の先から水を池に落下させ水音を立て、鑑賞者の心を庭に引き込むようにしている。角が丸い石にて護岸石組をしているので庭風景は柔らかい。池に沿い少し歩けば風景が大きく変わる。巨木はないが、江戸庭園で使われる樹木(イトヒバ、ツツジ、カエデ、イヌマキ、ツゲ、サツキ、ウメ、キンモクセイ、モッコク、ナンテン、モチノキ、クサトベラ、サルスベリなど)が池の周りを埋め尽くしている。茶室に近づけば足元を見させるササなどが植えられている。風が沢の上を撫でる庭風景なので「61風沢中孚(ふうたくちゅうふ)誠意内にあり」を表現している。人は偽りのない心を持つ、節度、節操ある人を信じる。人は親鳥が爪で卵を捕まえる形の「孚」の文字のように、親が子を大いなる愛で包み、子を信じるように虚心をもってものごとに接すべきことを教えている。角が取れた丸みを帯びた石を多用しているので一見、軽快な近代庭園に見えるが、儒教の教えを庭に吹き込んでいるためか、或いは有楽流茶道の武士精神を庭に吹き込んだためか、味わいある庭になっている。本堂は(京都)法然院本堂-(奈良)第二次大極殿跡-市場古墳(平城天皇楊梅陵)を遥拝、本堂で観音像を拝むことは、これら聖地を遥拝することに通じている。神が遊ぶ庭という感じではないが、香久山、耳成山、畝傍山に囲まれた聖なる地にあるので、剪定にてリズムを付け、浄水ポンプ音を小さくすれば神々しい池庭になるのかも知れない。