法然院方丈庭園

庭の中心に阿弥陀三尊石組が、三尊石を取り囲むよう心字池が配されている。心字池奥に泉あり水源になっている。方丈から鎮守社に向かい飛び石が伸び、アーチ型をした石の中橋を渡って心字池を越え、右に三尊石を見て石階段に至り、石階段を上り、石鳥居を潜って鎮守社へ到着するようになっている。心字池の傍、泉付近に石灯籠が立っている。ガイドが池の手前が此岸、向こう岸が彼岸を表す浄土庭園と説明してくれた。石灯籠につきガイド説明が聞き取りにくかったので正確ではないかも知れないが1582年の銘が入っていると聞こえた。同年、本能寺の変があったので、庭に政治メッセージが込められているのだろう。グーグル地図が地球の円に沿った方向線を表記してくれなくなったので、方丈が遥拝している聖地、神佛の通り道が正確に特定できない。今回は政治について探求せず、庭の形から易経の象意を読み、庭が表現していることを読み取ることにした。方丈は徳川家康が再建した伏見城御殿の一部で、伏見城廃城の前年1688年(元禄元年)移築された。1689年(元禄2年)鎮守社が建てられた。中央に弁財天が、両脇に吉祥天、摩利支天が祀られている。徳川家康の腹心だった天海大僧正が復興した(京都山科)毘沙門堂の本殿と霊殿の隣には高台弁財天があり、多くの神の通り道の中継点になっている。天海大僧正が建立した(江戸上野)不忍池辯天堂の本尊も弁財天で、多くの神の通り道の中継点になっている。河内源氏の聖地、(高野山)金剛三昧院の本堂、書院など中心建屋は東に大峰本宮天河大辨財天社の天河大辨財天社禊殿を、西に(大島)宗像大社中津宮と紀州東照宮本殿とを同時遥拝している。宗像大社中津宮と天河大辨財天社禊殿を結ぶ神の通り道は本堂-紀州東照宮本殿を貫き、金剛三昧院本堂での祈りは天河大辨財天社禊殿を背に紀州東照宮・宗像大社中津宮へ届くようになっている。これまで多くの遥拝線、神佛の通り道を調べ、弁財天を祀る社は三重塔と同じく神佛の通り道の中継点になっていることを見つけ、本ブログ記事で書いて来た。当院の鎮守社、庭は神佛の通り道の中継点となっているはずだ。庭を見渡したところ神が宿る権現石が見当たらず、神が着座する頭が平たい石が多い。このことから庭に神を宿らせず、立ち寄らせることを示していることからも、庭は多くの神佛の中継点としての意味合いが有る。東山の地下水が湧き出している庭にふさわしく、神佛を呼ぶ弁財天を鎮守社に祀っていることから、江戸幕府の手厚い保護を受けていた寺院だとも読める。浄土宗寺院の庭に見られる法然上人を連想させる灰黒い石が無いので、あくまでも神佛の中継点として庭作りをしたことが読める。更に易経を基に丁寧に作り込んでいること、行き届いた手入れがされていることで見ごたえある。方丈の襖には多くの花が画かれ、庭には花木が多く、方丈内と庭は同期している。4月6日の拝観時にはツバキとヤマザクラが花を咲かせていた。方丈から花が絶えることの無い庭を眺め、念仏を唱えることで阿弥陀三尊を心に取り込み、念仏を唱えた人の心を養うようになっている。庭中心に阿弥陀三尊石組があり、阿弥陀三尊石を取り囲む聖なる湧水で満たされた心字池があり、日本古来の神々を招き呼び、当院を守る鎮守社がある神佛が集う庭ではあるが、方丈での念仏が加わってこそ庭の美が完成するようになっている。この庭は山と雷を組み合わせた形に見えるように作られ、易経「27山雷頣(食し養う)」を表現している。噛み砕くように南無阿弥陀仏と念仏を唱え、正しいことを、正しいものを、正しく養うべきこと、そして正しいことは正しい人から学ばなければならないことを説いている。しかしながら、人には追求心あり、信仰心も変化し続ける。その変化をも庭は表現している。庭が表現する修行の変化について、浄土宗庭であるが、例えやすい禅修行に重ね、易経書を参考に第三者目線で読み解くことにした。宗教全般に言えることだと思うが、寺院で指導者に導かれ信仰を少し進めると正しい教えにて体が包み込まれたと実感できるようになり、正しい行いができる人間に成長したと自負するようになる。その結果、自尊心が助長し、自らの実力を超えたことに首を突っ込んでしまい、山崩れにつながるような危ない境地に陥るも、盲目的に突き進んでしまうことがある。そのような山崩れが起きそうな庭情景を見せている。東山からの地下水が人知れず湧き出している。泉水はこれからどのように進むのか判っていない未知な水、地中での長い暮らしを経て地上に出たばかりのうぶな水である。つまり、進むべき方向が判らない者は、学ぶべきことも判っていないので、自我を捨て、師に付き、進むべき方向を教えてもらい、指導を素直に受け入れるべきことを説いている。しかしながら、自尊心が助長した者は他人の話が耳に入らない。庭を大きく見ると、東山が迫り、風が止まっている閉塞感がある庭に見える。真面目に信仰を続けているように見えても、師を持たない者の信仰は深まらず、信仰心が腐りかねない。師に付き素直に学ぶべき決断を迫られている。火を連想させる石灯籠、石灯籠に照らされる石灯籠足元の心字池の上に風が通っている。風にて大きくなる火は鍋の中の食物を煮詰める。心酔する師を持つことで、鍋の中の食物のように変化し本物の修行者へと育って行く。賢人教育の始まりだ。庭を見上げるとどこまでも高い天空がある。庭足元には天空の変化に比べることができないような小さな風が吹いている。宗教の教育路線に乗ると、足元の小さな風にて徐々に自我が失われ、世間から乖離して行く。思わなかった出会いで新世界へ、修行の深い世界へ進んで行く。男女共に共通するが、本格的な修行に入ると性的魅力がどんどん増し美しくなって行く。これは宗教だけに限らず熱中できることにはまり込んだ人に共通する。日々、繰り返し行われる修行は庭の足元に吹く風のような小さな変化の連続、そこに瀧のような大雨が天空から降って来た。突然、慣れた修行が続けられないような大きなことが起きる。それは宿命によるものか、運命なのか、逃げることができない大に過ぎる事象が降り注いで来る。勢いある大雨や沢水は止めることなどできないので、毅然として立ち向かうしかない。乗り越えるべき大きな壁にぶち当たった。天空がダムのような雨雲で覆われ、大量の大雨粒が天を映す心字池を叩きつけている。これまで進めて来た最初の師の指導による修行の最終局面が訪れたようだ。念仏は修行では無いと聞いたことがあるが、第三者視点で見れば無心になって念仏を唱える姿は只座る禅修行に似て、修行の姿に見えてしまう。大雨の中、庭の石灯籠に火が灯された。改革、革新の道を勧めている。新たな師を求め修行の場を改め、新たな修行の道に入ることが勧められた。東山の一部に作られた庭には泉が湧き出す巨大な地下水脈があり、雷のような巨大エネルギーを秘めている。そこに瀧のような雨が降り注いでいる。庭は気力、体力に満ちあふれた巨大エネルギーを持った修行者のようで、修行者が瀧行を行っているようにも見える。ひたすら新たな師につき随う道を進む修行者の姿に見える。瀧のように降っていた大雨がやがて小雨となり、巨大エネルギーを持った庭の地表が水で覆われる。いよいよ創生の苦闘の時がやって来た。修行を振り返ると最初、未知により修行の入口が見つけられず苦悶していたが、最初の師を見つけ本格的な修行に入り、順調に修行を進めるも、突如として次から次へと身に降りかかる暴風雨のような難題に苦しめられ、それらと戦うも、自らとの戦いに勝利するためには新たに師を見つけるべきことに気付き、新たな師につき随う道を進めて暴風雨を耐え抜いた。気が付けば暴風雨が与えてくれた恵みの水にて身が満たされている。これまでの修行は恵の水に満たされるためのものであり、これからは身に付いた恵の水、つまり慈悲の心を自らが自らの内面に向け、修行を完成させなければならない。自らが納得する佛法を取得し、佛心を会得するのは師に頼らず修行者自身の努力に依るしかない。佛法を会得するために長い時間をかけて学び、修行を行う。しかし修行の最終段階がスタート地点であり、真の信仰は自身が創生するもの、修行で学んだことに依り自らの努力で佛と同じ境地に到達すべきものである。地表を覆っていた水が地面に吸い取られ、水を吸収した草木の芽が地表を突き破り、天に向かって伸び出そうとしている。一陽来復の時がやって来た。長い修行を終え信仰を確立した僧が外に出て布教活動を開始ようとしている。師となり後輩修行僧の指導にあたろうとしている。心地良い一陽来復の時は自分だけのものではなく、自らを育ててくれた師を乗り越え、後輩を育てるため外に出なければならない。それが師に対する最大の恩返しとなる。一旦外に出れば、この庭の代表的表現である易経「27山雷頣(食し養う)」の世界に戻り、入門時とは次元は異なるが、再び、宗教人、指導者として修行の道を歩き出すことになる。阿弥陀如来への信仰心深い住職のお人柄なのか、とても心地良い寺院で、北書院から中庭と茶室を眺めながら、方丈庭に湧き出た水で作られたほうじ茶を何杯も御替わりしてしまった。中庭は天と澤を見せる露地庭で、貴人を招いての茶会における主人の心構えを画いている。茶会にて失言や失礼を行った場合、少女が振舞うように、愛らしく、柔軟なやり取り、相手の立場まで踏み込まない言葉にて難を避けるべきことを表現している。熟成された江戸文化を存分に見せて頂ける庭を持つ法然院住職が法話の中で、皆さん人材と言う言葉をどう思われますかと問われた。人材という言葉は人を商品のように扱うこと、人の心を思いやらないことなのだろうか。