1917年(大正6年)美術商が東西方向に長細く伸びる敷地に沿って建てた家屋の北側、境界の木壁と建屋との間に細長い庭がある。勝手口近くの「腰掛待合」から「離れ」まで飛び石が伸び、奥へ奥へと誘っている。この地は「ならまち格子の家」と同じく元興寺の伽藍跡にあり、神佛の通り道に包まれている。境界の木壁に沿って多くの種類の常緑樹が育てられていて、その鮮やかな葉を見せる軽快な庭となっている。庭の一番奥、離れの前には同じ頃に建てられた志賀直哉旧居の露地と同じくモチノキがグロテスクに育てられていた。庭石は頭が平ら、頭の角が丸くなっている優しい形のものが大半だ。多くの種類の常緑樹(トウネズミモチ、アラカシ、ウバメガシ、イヌマキ、アセビ、アオキ、ナンテンなど)が植えられているが上述のモチノキ以外は比較的小さく育てられている。庭の清掃を考慮したのかカエデなど落葉樹の本数は少ない。高価なマツは見かけなかった。多くの樹木にて山中にあることを表現しているが、柔らかい石の形にて優しさが付与されている。入江泰吉旧居は山中のような雰囲気の中で樹木を育て鑑賞することを楽しむ庭だったが、この庭も同じようなところがある。芸術に関係する人にとって樹木鑑賞は審美眼を向上させるに適しているのだろう。商家の庭であるが、地面を深く掘るようなことはせず、平面地に苔と多くの樹木を育て、飛び石を伝いながら樹木の葉と庭石を楽しむ単純な庭であるが、山の中を歩いている雰囲気が良く出ている。