高鴨神社

本殿はアヂスキタカヒコネを主祭神とする。アヂスキタカヒコネの父は大国主、母はタギリヒメ。大国主の父はスサノオ。タギリヒメの父もスサノオで母はスサノオの姉アマテラス。本殿の配祀神はアヂスキタカヒコネと同母の姉もしくは妹のシタテルヒメとその夫、アメノワカヒコ(アヂスキタカヒコネの兄弟説あり)、アヂスキタカヒコネの異母兄弟、事代主、そしてアヂスキタカヒコネの息子アヂスハヤオノミコト。まとめると本殿ではスサノオとアマテラスと略同じ血が流れるスサノオとアマテラスの孫のアヂスキタカヒコネとその兄弟、曾孫を祀っている。西神社ではアヂスキタカヒコネの母、妻、アヂスハヤオノミコト以外の二人の息子を祀っている。神々は賀茂朝臣氏の祖先たちであり、日本人の父スサノオと母アマテラスの血筋の祖先神たちなので格式高い。非常に神々しい神社で、本殿など神の館には神が常住されていると感じるほど光り輝いており恐れ多い。とても神の館にカメラを向けられない。庭池に南岸から北方向に突き出した舞台があり、舞台から庭池を眺めると正面に拝殿の一部が見え、西北方向に広い池、池を取り囲む大木、そして大和葛城山の迫力ある姿が拝め、青空が広がっている。江戸初期、遥拝を活用し遥拝先の風景を庭に画き幕府の政策を内在させた小堀遠州、踊るような石組みで武家の力強い庭を作った上田宗箇、宝石をちりばめたような茶の庭を作った金森重近が有名だが、小堀遠州、上田宗箇、金森重近に続く庭師の名が少ない。庭めぐりをしていて江戸初期後半頃から儒教色濃い易経を基にした奥深い庭が多く作り始められたように思う。作庭者は江戸幕府指定の庭師たちだと思う。この池庭も正暦寺福寿院庭園と同じく単純構成の借景庭園であるが、深い意味が込められている。江戸時代の人と同じように庭を読み解いて観ることにした。高鴨神社はアヂスキタカヒコネを中心とした家族を祀っていることから良家を語る易経「37風火家人」を表現すべく大和葛城山を借景とする池庭を作り、良家に嫁いだ貞女の心構えを庭に画いたと読んだ。当時、良家は低年齢の児童婚を好み、良家の娘は多感な少女時代を嫁ぎ先で、若い姑の指導の下で過ごし、少女から成人になった。そのため姑と嫁の関係は現在と大きく異なり姉妹に近い関係だったはず、近年まで大家族制が普通で小姑の発言も強かったが、小姑の発言は加えず、姑と嫁の関係の変化のみを読み取ることにした。① 「37風火家人」が教えるのは、家を正すは女の位を内に正し、男は外で位を正すこと。つまり男は家中のことに口出ししない。「男子厨房に入らずべし」の意味は家中のことは女が決める意味にとれる。長女(姑)が上に立ち次女(嫁)が従うことで家中の正しい位が成り立つ。それが成り立つ大前提は家中を仕切る長女(姑)の心は正しく、根拠を基にした確固たる行動が取れること。封建制度の基本は下位者は上位者の指示に服従なので、上位者は常に自己の心の鍛錬が求められていた。②封建時代の良家では見合いから嫁ぐまで時間をかけいくつかの儀式を経て、ゆっくりと行われた。嫁いでからの嫁教育も一見すれば日々何の変化もないほどに、木を育てるようにゆっくりと、順を追って行われた。そのようにゆっくりと行うことで生まれ育ちが異なり若くして夫婦になった二人が自然と夫と妻の位につくようにした。③嫁ぎ先での生活に慣れて来ても、なかなか心底から姑の要求や意見を受け容れることができるものではない。先ずは姑が言った要求や意見の内、自分が正しいと思ったことに従う。嫁ぎ先の家風で正しいと思ったことに従い第一歩を踏み出すことになる。茶道において歩行時、自らの心を動かすことを意識して心と共に体を動かし心の鍛錬を行うが、鍛錬を怠ればすぐに人の心は自分勝手に走る。難儀なのは人は心が主体なので、心が自主的に姑の意見を受け容れるのは無理がある。解決策は姑の意見や要求が正しいか正しくないかを考え、正しいと思えば積極的に意見や要求どおりに行動し、嫁ぎ先の家族の一員となるよう努力すること。④自らの心が納得したことについて精一杯、勤めを果たしていると、やがて庭池の水面にさざなみが立つよう心に変化が生じる。これまで頑なに守ろうとしていたことが、水しぶきが飛散するように飛んで行ってしまう。近年、仏教離れが進み、定期的に僧侶を呼び仏壇を拝んでもらう風習は減ったが、日々、仏壇や神棚を拝む習慣は続けられている。このような心の変化が起きたら嫁ぎ先の仏壇や神棚に手を合わせ、祈りを捧げることで心の支えを作る必要がある。⑤姑と嫁、別々の心を持っており、それぞれの立場が違うので、意見が合わず、お互いに納得できないことが生じて当然である。そのような人の根本的な心のこと、立場の違いで発生した問題はいくら争っても解決に至れるはずがなく、もし争えばお互いの心に傷がつく。長女(姑)と次女(嫁)の良好な関係を続けるためには争わず、お互いのことを思いやり、お互いが相手の立場を思慮し、問題を棚上げにするか、或いはお互いが争わないルールを決めるしかない。⑥姑と嫁とのルールが出来ても、しっくりした関係になれるものではない。嫁が出産し子育てを始めると、家中においては姑と嫁がそれぞれ張り切るものだから女性上位の家となり、家中がよりしっくりとしない状態に入る。商売でも係争事でも解決策がなくなった時、意見が決裂し、もうおしまいだという時が出発点、考慮が至らなかった未熟な点、実力が備わっていなかった点を見直し、対策をとり、難局を乗り越える。難局を乗り越えられるのが実力者。この難局にあたって姑と嫁が勝ち負けの争い、嫁が無謀な実現不可能な上下逆転の争いを起こすことは絶対に避けなければならない。お互い未熟な部分を改善し、実力を充実させる努力を行ない、局面変化を待つべきである。⑦険しい対決的な関係がピークに達した頃、子供が成長し姑と嫁の役割分担に変化が起きる。夫が昇進などで位が変化し、或いは義理の父の退位が近づくなど、局面の大変化が訪れ、姑と嫁の心の雪解けが始まる。一見、問題解決がされ良かったように見えるが、先日までの険しい関係時には改善努力をし、気を張り詰め、ものごとに対応していたので何事も順調に進んでいたが、雪解けが始まると気が緩み、緊張感が減退し、思いがけないことが発生しやすくなる。用心すべき時期である。⑧封建時代は良家において多くの子を得るため一夫多妻制が一般的であった。姑と嫁との雪解け時、往々に夫が第二夫人を作ることが多かった。封建時代の慣わしで跡継ぎ以外の息子は養子に出し、娘は実力者に嫁がせることで家門繁栄につなげた。そのため、姑も嫁も慎重な行動が求められた。お互い行動前に相談が必要となった。つい先日までの険しい関係が嘘のように仲良くなる。⑨子が次々と成人し始め、娘を良家に嫁がせ、息子を外で位が得られる勤めに出すことになる。それらが円満に実現するよう予め多くの根回しを行い、準備を行う。いざ動き出すと驚くようなことが次々と起きるが、十分な準備をしておれば乗り越えることができ、家門繁栄の大きな前進となる。⑩夫が外で高い位に付き、息子や娘がそれぞれの役割を果たし始めると、収入が増し豊な時を迎える。息子の結婚もあり盛大な時期を迎える。盛大な期間は長く続かないのが人生の常だが、人生で最も幸せな時が過ごせる。⑪家門盛大な時に姑の隠居話が提起され、嫁が家の中心位へと進む準備へと入る。姑の隠居準備中は家中で輝いていた太陽が沈み闇に包まれる期間。嫁はこれまでの立場と変わらず謙虚に物事を行い、家中においては細かいことにこだわらず、物事を大まかに見て過ごす必要がある。ちょうど息子が嫁を貰った時期なので、大人しく息子の嫁を見守ることができて良い。⑫姑が完全に隠居し、嫁が家の中心位、姑の位に立つことで、家中は整然とし完全なものとなる。これから起きるであろう人間関係の差しさわり、家中に起きる生老病死、勤め先のトラブルで夫が退位せざるを得ないことが起きる可能性などを予想し準備を行うことになる。そして最初の①に戻り息子が娶った嫁の指導、教育へと入る。このような慣習は、少なくとも飛鳥時代に始まり、終戦まで続いた。正暦寺福寿院庭園で述べた藤原氏の家庭はこの慣習を繰り返し、娘にそれらを見せることが躾で、躾が行き届いた娘を天皇家、時の権力者に嫁がせ続けたのだと思う。