西大寺

西大寺は寺全体で叡尊上人(1201~1290)の心と体を表現している。叡尊上人は水のように下り非人や囚人に斎戒を授け、非人に粥を施した。太陽や火のように、授戒や講義にて人々を照らした。そのことから愛染堂裏池庭などの池庭は易経「63水火即済」整然と完全を表現していると思った。池庭は流水が乏しい奈良盆地らしく濁ること無く澄むことのない、ため池を中心とした庭で、水を求め人が集まり動物がやって来ることを連想させ、生命誕生の苦しみを内在させている。ひなびた風景の中にある東大寺鏡池、新薬師寺香薬師堂前の池庭、法隆寺の池と同じ雰囲気を持ち、奈良の庭を鑑賞している実感が湧く。四王堂、本堂、愛染堂を拝観し、叡尊上人の整然とした完全なる教えを800年近く保持してこられて来たことを学んだ。この行いは結婚式で述べた誓を生涯にわたり守り結婚生活を続けること、老舗の維持と相通じるものがある。整然とした完全なる教えを継続するにはどのような苦心があるのか易経「水火即済」から読み解くことにした。①約800年前に叡尊上人が願ったことは存命中に完成されたが、室町時代に寺が焼き討ちに合い、更に火災で東塔が焼けたにも関わらず、現在の伽藍は叡尊上人のプランを伝えているとパンフレットで説明されていた。ここには真言律宗総本山としての祈りに必要なものがすべて揃い、約800年前に完成された真言律宗の祈りが続けられている。そして多くの重要文化財が守られ続けている。整然とし完全な結婚生活と同じく、平凡すぎる、生活に変化がない、新しい取り組みがなされないなど一見、多くの改善点があるようで、完成された生活に見えないが、平凡で、変化なく、新しい取り組みがされない点が完成された姿であり、この形を永続するため欲を持たず、自らの実力の範囲内で行動し、他人からの誹謗中傷を受け流し、事件事故が起きても何事も無かったように解決し、変化を求めず、忍耐を持って現状を守る非凡な努力の積み重ねがある。月日が経てば守っているものが正しかったかどうか、どのような苦心をしたかが一目瞭然となる。②一日一日は変化が無いようであっても、一定期間を過ぎると内部に大きな変化が起きる。整った組織が最も恐れるのは内部不和、どのような整った組織においても直面する最初の苦難で、乗り越えなければ日々の行いが止まり組織崩壊する。当事者が真っ先に行うべきは自らを省み、次いで当事者が集まり討議し不和解消すること。この苦しみは組織を固め、発展させるための通過的なことに過ぎず、謙譲と話し合いで解決できる。③整った組織には困難が次から次へとやってくる。組織を維持するためには安定した経済的基盤が必須で、貯えを作るため贅沢を避け出費を抑えなければならない。発展させるために適時、新旧交代、新陳代謝を行う必要がある。これら宿命的なことも乗り越えなければならない。④繰り返し、繰り返し訪れる問題を適時に解決しなければ組織が腐り、困窮してしまう。一難去ってまた一難、問題解決に追われ続ける。問題の中には詐欺や隠ぺいされている事柄が内在していることがあり、悪い方向に導かれないように組織を上げて問題解決を図らなければならない。⑤逆境方向に向かっていると更なる大きな困難に遭遇する。思わぬ事件、事故、事柄が起き、解決に翻弄されるだけでなく大出費がある。人事面で自らの実力を越えた重責を担わされ、もしくは自らの位が下げられ思うように実力が発揮できなくなり心をすり減らすようなことがある。困窮の極みに追い込まれたら解決手配を済ませ、静観し、状況変化を見守るしかない。他人は困窮した人を信用しないし、困窮話を聞きたがらないので耐えるしかない。困窮は人を育てるので天から与えられた試練だと心に言い聞かせ耐えるしかない。⑥いつまでも困窮状態が続く訳ではない。いつまでも冬のままではない。それまでの努力が報われる春がやって来る。春になると花が咲き、植物が勢いよく生育するが、渡り鳥が北へ向かい旅立つような変化が生じる。真冬に向かうように逆境に向かい、困窮の極みまで至った直後なので、気が緩みがちとなり、離散が起き易くなる。あくまで整然とした完全な組織と教えを守るために大きな望みを抱かず、協力者をいたわり、守りの姿勢を貫き、小さな改革にて前進を続けることになる。⑦小さな改革を続けていると、整然とした完全な組織や教えだと思っていた組織や教えに未完成なところがあることに気付く。活動に必要なものは全て揃っているが、活動すべき環境、場所を時代の変遷に合わせ変更すべき、人員配置を変更すべき、人の育成に力を注ぐべきなどに気付く。整然とさせ完全とするための改善を行うことになる。⑧整然とした完全な組織や教えを持っているので、外部を巻き込む大改革は行うべきではなく、内部において小さな改善を積み重ねて行かなければならない。最重要なことは内部の人同士が和合すること。立場が異なり、背を向け合う者同士がいるのは自然なことだが、思いやりを持って接し合えるようにしなければならない。⑨上述のように整然とした完全な組織や教えを守るために困窮するほど追い詰められ、次に小さな改善を積み重ね内部を整えたが、組織の宿命として噛み砕くことができない内部問題発生は避けようがない。組織として吐き出すべき問題点を明らかにして、追及すべき問題を明らかにすべき時がやって来た。⑩日々、繰り返し、繰り返し同じことを行っていても、日は沈み、日は昇るように、日々、離れるものは離れて行き、付くものは付いて来る。来るものは拒まず、去る者は追わず、内部問題の原因となっている人物が去り、障害となっている物事を排除することは自然の道理である。⑪内部問題の排除で、今の時代に合った整然とした完全な組織や教えを作り出すことができるようになる。仏教寺院は美しいが、虚飾となることを避け、より美しくなるように努力する宿命を帯びているので、美しく整い続く。⑫以上のような苦心を経て美しい家庭のように組織団らんの時を迎え、整然とした完全な組織や教えを再編することができ、次の時代へとつなぐことができる。日々世の中は変化し、組織も変化を続ける。教えを継続するため再び①に戻り奮闘しなければならない。このようにして約800年間、上述の苦心を何代も何代も重ね、整然とした完全なる教えを保持してこられたのだと思った。日本の寺社の歴史は重い。