臥龍山荘

樹木で覆われグーグル航空地図で判別つきにくいが、臥龍院、文庫などの建屋は大洲城天守閣と同じく三蔵法師玄奘が経典翻訳を行った(中国西安)大慈恩寺に略向いている。ここは大洲藩主の遊賞地跡なので、江戸時代における建屋は天守閣と同じ大慈恩寺を遥拝し、天守閣と同じように佛が光臨したような雰囲気を漂わせていたことだろう。臥龍院、文庫は取り壊された江戸建屋と略同じ向きに建てられたのだろう。遊賞地として恵まれた肱川(ひじかわ)と蓬莱島を見下ろす崖地に庭があり、背後の山急斜面で西日が射し込まない。景色が綺麗に見える西から東への借景が楽しめ、冨士山(とみすやま)、肱川、蓬莱島が望める。対岸や川から臥龍山荘がよく見えることから、大洲藩大名庭園の役割を果たしていたことが読み取れる。江戸時代は庭に樹木がそれほど茂っておらず、ここで過ごす藩主の姿が対岸で働く農民、対岸を移動する人、肱川を往来する船上から良く見え、藩主と藩民の心の交流が行なわれていたこと、そして藩主不在時にも藩主の姿を感じさせていたことが連想できる。不老庵に座るとそれが実感できる。そのような江戸時代の庭を易経に当てはめると晴天日には「37風火家人(ふうかかじん)」火が燃えると風が起こる。煙立つところに人家あり、家の中心は火が燃えるところ。火により食事と暖がとれ和が生まれる。藩のそれぞれの立場の者が、その立場にふさわしい言動を取れば火が燃え上がり、風が起きるように一気に発展する。そのために藩内の和が大切なことを示していたことだろう。水田に水が満たされるような作物が益する雨天日には「42風雷益(ふうらいえき)」風と雷が相互に助け、益するように、藩主が損してでも藩民のため善い政策を迅速に施行していることを示していたと思う。現在は樹木が茂り、借景をポイントとして見せている。それによって水分を多く含んだ苔面、打ち水をした茶室へ至る飛び石に心が集中できる。心を静め、心を一つにして茶会に備える庭となっている。苔面と飛び石からなる心を集中させる庭を易経に当てはめると「20風地観(ふうちかん)」茶会において、会話を単に聞くのではなく、心で人の話を聴く。茶会の参加者の動作を目で見るのではなく、心で観る。ものごとを心で聴き観ることを促進させる庭だ。茶会が終わり不老庵に移動すると急に視界が開け、心が晴れ、緊張がほぐれる。大きく雰囲気が変わることを楽しませるようにしている。不老庵から風景を見ると南から北へダイナミックに曲がる肱川(沢)が足元にあり、河原の砂地、山、天が整っていることに感動する。この風景を要約すると「42風雷益(ふうらいえき)」風を感じる爽やかな中に秩序ある自然変化が進行中。自然風景を心で観せようとしている。