金刀比羅宮表書院庭園

神々が遊ぶ姿を想像しながら自己修練を行うための庭

金刀比羅宮への参道、丸亀街道、多度津街道の起点は丸亀藩にあり、その玄関口、丸亀港及び多度津港はたいへん賑わっていた。参拝客は丸亀藩の財政を大いに潤した。金刀比羅宮(本宮) は丸亀藩領地内、象頭山にあり、その観光収入は重要財源だったので、丸亀藩が金毘羅宮を管理していたと推測した。表書院・奥書院の向きを調べると東北東に石清水八幡宮を、北北西に松江城を遥拝する向きとなっている。丸亀藩主京極氏は宇多源氏の流れを汲む近江源氏なので源氏の聖地;石清水八幡宮を遥拝するのは当然。初代藩主、京極高和(1619年~1662年)の養父(実父という説もある)京極忠高(1693年~1637年)は松江藩26万石の藩主だったし、次の松江藩主松平家は徳川家康の次男を祖とする血族なので遥拝先としてふさわしい。それらのことから表書院・奥書院は萬治年間(1658年~1660年)に京極高和が建てたと推測した。ちなみに隣藩、高松藩主松平家は徳川家康の十一男を祖とする家柄なので、京極家は徳川家の一員だったことが読みとれる。庭の左側廊下は松江城遥拝所となっている。表書院から西南西約200m先の三穂津姫神社と石清水八幡宮本殿とを線で結ぶとその線は表書院の中央を通過する。よって庭園鑑賞は石清水八幡宮を背にして三穂津姫神社を拝するもので、谷間を通して三穂津姫神社の精気が庭に流れ込むようになっている。三穂津姫神社と石清水八幡宮本殿とを結んだ線は生田神社本殿から100mほど北を通過する。江戸時代においてこの線は源平合戦が行われた生田の森を通過していたはずで、源氏の精気に満ちた豪快な庭となっている。徳川家のあちこちの屋敷にはこのような重厚な庭があったことだろうし、この庭を作った京極家と徳川家との深いつながりを感じる。小堀遠州(1579年~1647年)の鶴亀蓬莱庭園と異なり鶴亀石が特定できない。玉澗(ぎょくかん)様式の陰を追及した庭でもない。深山幽谷を通って流れて来た清水が石橋を潜り池に流れ込む形から三穂津姫神社つよくイメージできる。現在は山崩れ防止のために庭の少し上流で水を堰き止めているので晴天日には水が流れ込んで来ないが、本来は常時、清水が池に注がれ、池の水は淀んではいなかったはずだ。この庭には清清しい沢が相応しい。それにしてもいろいろな樹木が丸刈りされている。カヤ、アセビ、サツキ、モッコク、ツバキ、キンモクセイなどの丸刈りが山裾に波のように埋め尽くされている。サクラが満開だったが何時頃から植えられたものだろうか。あちこち土肌が見えるので対話庭園でもある。瓢箪型の池のクビレ部分に対岸に渡れる石橋が架かり、庭は左右に二つの見せ場がある。一つは庭の左側、廊下の傍に大きなカヤを丸刈りにしたものがあり、池の中にウサギ形の石があり、その石を中心に池周囲に多くの上面が平らになった大きな石が置かれている。大国主を祭神とする神社ではウサギを神の使いとするところがあるので、ウサギ形をした池の中心石は神の使いでそれを取り囲む上面が平らな大きな石々は庭に遊びに来た神々の座席となっていてウサギ石に向かっている。池の傍らに小さなマツが一本育てられ、神の降臨を促している。大物主神あるいは大国主神の后である三穂津姫神社を拝する神聖で上品に見せる部分だ。もう一つの見せ場は庭の右側、谷の渓流とその両側の山を見せる部分。山を上卦とする易経の意は総じて自己修養なので、上段の間に座る藩主が庭を見て自己修練を図っていたことが偲ばれる。山と建屋で囲まれた池に青空が反射する情景は「26山天大畜」山が天を包み込んでいる。至誠・真心の心で大いなるものを畜える藩主の姿を見せる。山の中の沢は自然な姿だし地肌の土が見えるので「41山沢損」沢が損して山が得し、大地が損して植物が得し、植物が損して動物が得するように損ずる道は自然の道理。修練の上での損は怒気と欲望、心を静めることを藩主に勧める。山中の池に眩しい太陽が映れば「22山火賁」天地が交わりあって美を作る。行き過ぎた飾りがあってはならない、美はそれぞれの本質を生かしたものでなければならないことを見せる。山に雷が轟けば「27山雷頣(シン)」二つの山を上顎と下顎にたとえ、雷で二つの山が動くように、池で蓄えたものを養う。貯えた食物を食し養ってこそ貯えたものが生かされる。正しいこと正しいものを正しく養う。教えは正しい人から節度を持って学び、自らを養うべきだ。先ずは貯えよ学べと語る。山の中に風が吹かなければ木々を腐敗させてしまう「18山風蠱(コウ)」風が吹かないような安楽な状態が長く続くと人は腐敗しいろいろな事故や敗れることが起きる。そのような時は風通しを遮るものを排除し、風通しを良くする改革を行わなければならない。改革は山の木々を損傷させるほどの大風を吹かさず慎重で堅実でなければならない。池の水などで庭に霧が立ち込め山が良く見えない時は「4山水蒙」学び始めた時は師を疑い疑心暗鬼となりがちだが、優れた師だと見定めたら自主的に心を開き、心を無心にしなければ教えを享受できないと啓蒙する。山は人の姿に似ている「52艮為山」深山にて山のように自らの分限を知り、かたくなに分限を守り、己の信ずる正しい道に止まる姿を学ぶ。羨望することなく誘惑に道を踏み外さないためには見ても見ず、聞こえても聞かず踏み出すことなく止まるべきことを山に学ぶ。山裾に地肌が見えている「23山地剥」崩れ落ちそうな危うさを見せている。老化現象を起こした山、下が安定しない山は崩れる。藩主は下の藩民の立場と生活を安定させてこそ自らの立場も生活も安定させられることを知る。庭の左側は神の姿を想像させ、右側は自己修練を迫る。池の水が清水であればより本来の美しさを取り戻せ、より深みがある神聖な庭となる。表書院の正面の蹴鞠の庭には大物主の神力が宿るとされるスギがそびえている。表書院の裏側は建屋の間に池があり、神聖なる山沢の気を建屋内に取り込むようになっている。表書院と庭に江戸文化の神髄を見ることができた。