南門から法堂へ伸びる参道には端正な山門と堀があり、
掘に咲く可憐なカキツバタの紫が身分高い人と関係深い当寺の歴史を感じさせ、風の道に居る高身分の人を連想させられた。
客殿庭園をインターネット検索すると昭和13年頃、作庭家・田中泰阿弥により修復作庭されたと紹介されていた。そのためか易経思想を吹き込んだ江戸庭とデザイン重視の近代庭が混在している。庭を観ると江戸庭部分は客殿の東南に隣接する書院付近で、
書院の東には底に粘土を敷き常に水を貯える池を、書院の西に客殿庭園を配し、
池対岸のカエデに沿って流れて来た風が、池の上を通し誠意を秘めた清涼な風となり、書院から客殿庭園へと抜け、客殿庭園の苔地面上で観察について考える風になる。
客殿の廊下から書院上空、或いは門上空の風に乗って移動する雲を見せる。立派なアカマツが江戸庭の貫禄を今に伝える。
近代庭部分は明治、昭和に流行した地面を深く掘り込んで作った空池、大雨でも1週間もすれば干上がり、天に逆らう下へ下へと流れる水を見せず、天の象徴、昭和天皇に逆らう意が無いことを表現している。アセビなどで山奥を表現し露地だと感じさせ、苔面上に飛び石を並べ二本の道線を作り、一本は四角い飛び石で門から客殿に至る折れ曲がり直線道を、もう一本は自然形の飛び石で腰掛待合に至る直線から湾曲線と変化する道を走らせ、二つの飛び石道を交差させて機能美を強調し、門の近くに石塔を塚のようにして置き、腰掛待合に向かう人を驚かせると共に、
目立つ所に石灯籠を配し邪気払いしている。江戸庭と近代庭がうまく調和し、妖怪が出そうな緊張感あり、魅力美にあふれている。
上空には、偏西風に乗り高速で移動する雲があり、雨雲を呼び、或いは雷雨を追い立てる風は大きく局面を変える力がある。池から庭地面へと流れる小さな風は池にさざなみを立て、客殿庭園の樹木や草木を揺らし生命を養っている。この上下、二つの風で易経「57巽为风」風の如くに従う生き方を見せる。そこで巽卦の教えを書き出してみた。
風は火を起こし、波をたて、草を倒すが、風がなくなれば火は消え、波は収まり、草は元に戻る。しかし同じ向きに吹かせ続けると樹木の形を変えられるように、風の道は人の慣習を変えることができる。風のように謙虚ならば利を得ることができ、傲慢ならば損すると言われるが、何時も謙虚で卑下する人は心を見せないので警戒され、如何なることにも従う人は人格なし、風に逆らうばかりの人は修養が足りないと批判される。
光線は直線進行のみ、水は下へ下へと流れるのみ、火は燃えるものが無くなれば消える。しかし風は何時でも如何なる隙間へも入り込む。風のような人は他人の話を良く聞き、他人の心の中に入って行き、良くも悪くも他人の影響を受ける。旅人は風のようにやってきて風のように去り、旅先では巽のように振舞い表面的に親しく交流するも、真に地元の人と親和しない。留学生が留学先の人と真に親和する訳ではない。
巽卦は社会そのもの、表向き政府が民に命令を下し、民がそれに従っているように見えるが、実際のところは庶民、現場から繰り返し、繰り返し上がって来た不満、要望、事故事案、改善案が更に上に上にと伝達され、色々な立場の人、色々な考え方の人の見解を経て、上位者が現場に行き、ものごとを精査し、意見聴取を行い、指示や命令という形にまとめ発する。指示、命令が発せられれば、政府は再三にわたり、繰り返し、繰り返し民や現場が理解するまで指示、命令の内容を説明する。皆が耳を傾け、理解してくれてこそ、指示、命令の実行ができる。新たな施行規則の初期段階ではたとえ民、現場が指示、命令に違反しても警告だけにとどめ、罰則は行わない。風を吹かせるように指示、命令を発し続け、皆が規則を慣習化したことを見届けた上で罰則適用を始める。
指示、命令は強い威力、意志を持つ上位者が毅然と発し、全力で遂行するものなので、指示、命令の内容は合理的でなければならず、的得た内容でなければならない。もし民が行えない命令、指示を出せば政府は大きな痛手を食らう。
民や現場は強く正しい行いをする物腰柔らかい人に従うので、指示、命令を発する人は、風のように民、現場に入り込む順の徳を持ち、指示、命令を風のように吹かせ続けなければならない。民、現場の慣習を変えるまで吹かせ続けるには合理的な目標、硬い意志、理想が必要で、志を折らず結果が出るまでやり続けなければならない。しかし民を変えられるのは指示、命令の範囲内であり、民の根本的思想まで変えることなどできない。
組織に属しておれば、上司の命令は拒否できない。拒否すれば処罰され、或いは叩かれるので、順でなければならない。しかし命令や指示が実現不可能なもの、不合理なもの、実行してはならないものならば、先ずは上司の命令や指示を実行はするが、できなかった理由を説明し、実質的に、命令拒否を行うのが大人だと説いている。なんでもかんでも従順に従う者は小人だと解説している。
時間をかけ自己修養を積み、理智で感情をコントロールできるようになれば風のような順で柔らかい行いができるようになり、強い者に対応できる。風の道は立身出世の道ではなく、円熟した人物だと見せるための処世術の一つであり、目標到達の手段であり、有益な何かを成すために謙譲、謙遜、卑下すべきものだ。
第二次世界大戦で戦った日本人パイロットは従順に命令に従った。しかし、命に関わる特攻命令を拒否した多数のパイロットがいた。司令部が長期目的とした日本防衛のための命令には従うが、自らの生命に関わる命令は拒否する態度こそが巽卦が求める大人の生き方だ。この庭はこのようなことを語っている。