かつては大寺院だった福智院から今西家に福智院氏居宅が譲られ、今西家書院と称されるようになった。書院は北に比叡山延暦寺東塔を、南に玉置神社鳥居を遥拝しており、延暦寺東塔と玉置神社鳥居を結ぶ神佛の通り道は醍醐寺の行場付近-興福寺大湯屋-今西家書院-ベンショ塚古墳-(天理)森神社-(桜井)池之内古墳群を通過する。この神佛の通り道の両側には多くの寺社、古墳が点在しているので、大きな神の通り道に福智院が包まれていたことが偲べる。書院内から、或いは礼拝石から石灯籠を拝することは比叡山延暦寺、醍醐山、興福寺を拝むことに通じている。書院は西に(対馬)海神神社を東に現在の福智院を遥拝している。現在の福智院本堂は海神神社を遥拝しているが、この遥拝線上には今西家書院-唐招提寺鑑真和上御廟付近-(神戸)長田神社がある。書院北の庭は江戸庭園の伝統どおりの作りで、延暦寺東塔遥拝目印である石灯籠が庭中心となっている。石灯籠の手前には礼拝石、神の着座石が置かれている。東北側には三尊石があり御蓋山からの水を連想させる枯山水石組で泉を表現している。その奥に春日大社の神々を権現させる目的の権現石が置かれている。苔面の周りのクスノキ、アラカシ、シラカシなど強い木に目線が向いてしまうが、これらの木々は今西家に譲られた後に植えたものだろう。ツバキ、イヌマキの刈り込み、キンモクセイ、サザンカ、アセビ、チャノキ、明るい葉のカナメモチ、季節を感じさせるカエデが目に付く。マツが無いのが意外だった。比叡山延暦寺を遥拝する石灯籠とその周囲の石がしっかり守られているのは書院がしっかり遥拝先を持っているからだろう。三尊石、権現石の位置、そして書院の北から東を通り南につながる飛び石の風情から本来の庭はもう少し大きかったように思う。書院北側に伝統的な江戸庭園があるも、いくつかの樹木を植え替えたこと、庭を縮小し手を入れたことにより全体的に新しい時代の風が吹いていると感じてしまうのだろう。書院南の庭にも神佛の降臨を連想させるサークル状の石組があるが、樹木が密で石組が生かされていないように思った。ローバイとサクラが同時に花を咲かせていた。