芸術家の感性とは
原田城は戦国時代に4度、戦乱に関わっている。最後に関わったのは1578年の有岡城の戦い、明智光秀、織田信忠、滝川一益を司令官とする織田軍配下の武将、中川清秀、古田織部らが約4㎞西の有岡城の荒木村重を攻めるため砦として活用した。慶長年間に廃城となるも城跡は残され、1937年に阪急電鉄が住宅分譲地として売り出した2区画約600坪の城跡主要部を、住友化学重役を退任された羽室廣一氏が購入、主屋、土蔵、納屋を建て、古田織部を連想する装飾を施された。芸術を深く愛されていたのだろう城跡の土塁を庭の築山として活用、土塁を城跡ではなく山と感じさせるようマツを植えず、ウバメガシ、イチイ、センダン、エンジュ、ハゼノキ、コウヤマキ、アセビなど山に育つ常緑樹と落葉樹を混在させて植え、平面には秋の紅葉が綺麗なカエデ、庭らしく見せる葉が綺麗なクロガネモチ、モッコク、難を転じるナンテン、優雅なマツ、春を感じさせるユキヤナギ、冬の寒さを感じさせるツバキなど植え、大きな石灯籠の傍にソテツとシロヤマブキを植えて暖かさを加え、昭和の戦争時代を表すクスノキの大木を育てている。土塁と平面部との際に池を掘り、水を貯え、沢が山上にあるように見せ易経「31澤山咸(感じ応ずる)」を表現したと読んだ。庭に隣接する明るい応接間でプロのオーケストラメンバー4名からなるカルテット リアン演奏の弦楽四重奏第8番「ファシズムと戦争の犠牲者の思い出に」を拝聴した。曲は当邸宅にふさわしく、真剣に演奏される姿に深く感動した。羽室廣一氏も一緒に拝聴されているようにすら感じた。現在、庭池に水は無いが、水の流れを感じさせるようになっている。易経「31澤山咸(感じ応ずる)」を基に感性とは何か、芸術家が何に対して感性を働かせているのかを考察することにした。①若い男女が最も気にするのは同年代の異性、気が合う異性と感じ合い、それぞれが応じ合うことで創生への道がスタートする。男女が交われば何かが生まれるので、恋に落ちれば本能的に次のステップへと勢い進んでしまう。人は気になることには感情で対応する。人のそれらの特性を芸術は活用し、テーマについて感じたことを音楽、絵画、写真などにして人の心を動かす。拝聴した演奏を例にすれば作曲家は戦争犠牲者から感じたことを激しい曲にて物語化し、演奏者は戦争の悲惨さを画いた曲を楽器で表現し、反戦の思いを人に伝えている。②産まれた時から序列を持つ男同士の兄弟喧嘩と違い、序列を持たなかった女同士の姉妹喧嘩はしつこく、なかなか終わりが見つからない。たいしたことでも無いのに、いつまでもしつこく喧嘩を続ける。芸術の作品作りは姉妹喧嘩のようで、何かにこだわりを持ちテーマとして、しつこく追及し続け、これまでとは少し違えた小さな技巧を積み重ね、日々、新たな作品を作り続けている。作家は小さな変化、小さな改革の必要性を感じ作品を改め続ける。小さな改革が必要だと感じられる人と感じられない人の違いが、感性の有る無しの評価になり、時代に乗れるか乗れないかの違いになっているように思う。写真家が言うテーマを持ち感性を磨けとは小さなことに気付き作品の改善を続けよとのことではないだろうか。③しつこくテーマを追い、しつこく作品を改革し続けるだけでは、いずれ収拾がつかなくなり、壁にぶつかってしまう。その際には切り捨てるべきものは切り捨て、自らがやるべきこと、できることを省み、自己革命を起こし、自らの芸術世界を作り上げなければならない。スポーツ選手、音楽家、演奏者、漫画家、作家、画家、陶芸家などで大活躍する人は才能を持って生まれた人であり、努力で才能を手に入れた訳ではない。芸術家とは天から与えられた生まれつきの才能を多くの人に見せ、人々を感動させる使命を持たされた人なのだろう。④芸術家とファンは作品を通し共感し合い、共に悦び合うことで、悦びの道をひたすら進み続ける。野球、相撲、ボクシングなどのスポーツ、音楽会、演劇などの活動は熱烈なファンがいてこそ盛り上がり、ファンはスポーツ選手や芸術家の生き方を見て楽しむ。両者にとって一緒に悦べる瞬間が人生最高の至福の時である。⑤芸術の世界は努力を必要とするが、苦心、苦難、苦労、苦学を好まない。アルバイトをしながら芸術を学ぶとしても、アルバイト生活の苦労は芸術力、スポーツ技能の向上に何の助けにもならない。才能が無いことを悟れば愛好者の道を選び自分らしい仕事に付いた方が幸せを得ることができる。どの業界も同じだが業界で活躍している人のレベルはハイレベルで、努力だけで到達するレベルではなく、且つ冷酷なほどに成果が求められる。生半可な気持ちの才能ない者が一流世界で通用するはずがない。芸術界は若い男女の「感じ応ずる」を基本としているので、性的魅力にあふれた人が集まるが、才能に溺れ社会道徳を逸脱した行為をすれば自然排除される。そのリスクがまとわりついているので常に節度が求められる。芸術作品には豊かさと節度ある表現が求められているので、豊かさと節度を基にした感性が求められている。⑥ビーチから大海を望めば気が晴れる。母なる大地と生命を誕生させる大海との関係のように、母なる大地から流入した栄養を含んだ清水にて海草が育ち生命が誕生するように、芸術と生命力とは切り離せない。テーマの中に潜む生命力あふれたものを感じ取り、作品を生命力あふれたものにしなければならない。⑦人は生活の安泰を望むので、財産が減って行く、健康が損なわれて行く、笑いが少なくなって行くなど欠けて行くことに敏感だ。次に財産が増える、健康回復した、笑いが増えたなど利を得て増えることにも敏感だ。そのため潮の満ち引き、月の満ち欠け、日の出と日の入りで心が揺さぶられる。幸福と不幸、恋愛と失恋、生死などで感じ取った増減変化を作品に取り入れれば、動きが加わる。⑧人は母から生まれ、多くの人に見守られて大きくなる。よって手を差し出してあげたくなるような幼さ、初心さ、未熟なものを愛する。慕ってくれれば愛が生まれる。未熟なものごとが発する美しさを感じ、作品に取り入れば人を引きつける。⑨災害、台風、政変、戦争が大ニュースになる。人は崩れていくもの、危ういもの、消えて行くものに異常なほど興味を抱き、感情移入する。危ういことを体験した時に感じたことを作品に加えれば厚みが出る。⑩人の基本は自分であり、自分を愛し、自分を分析し、自分が悦ぶことを追求し続ける。それを助けてくれる宗教、スポーツなどは自分の価値が確認できるので、修行やスポーツで感じたことを作品に加えれば内面的な深さが加わる。⑪人が熱中できる定番は釣り、登山、ヨット、カヌー、冒険、サイクリング、ドライブ、外食、外泊など、総じて言えば旅行やそれに類するもの。何れも危険と隣り合わせだが、新たな体験、発見、移り行く風景が楽しめる。人々が熱中する旅行やそれに類するものを作品とし、そこに自らが感じたものを加えれば立体的な作品となる。⑫究極は鑑賞者やファンがいくら手を伸ばしても、金を積んでも、努力しても手に入れることができないものを表現し、その境地で感じたことを伝えることだろう。相撲取りやボクサーの優勝はその最たるものだと思う。芸術について思ったのは芸術の根本は豊かさであり、苦労とは縁のない、ましてや困窮とは別次元の世界にあるものだということ。芸術は時代と共に変化し続けているので、日々、新陳代謝を続け、芸術家の感性により改革が行われている。この邸宅庭園を通して芸術が人の心を豊かにするのは、芸術家の感性の本質が豊かさと節度にあり、豊かさと節度を持ちつつ、敏感にものごとを見ているからだと判った。芸術作品を愛することで芸術家のように敏感になることができ、その感性で世間を渡ることができ、苦労や困窮と無縁になれる。よって芸術が必要とされているのだと思った。そして歴史は土に記憶されているとも思った。