宝泉院 額縁の庭園

三千院門跡参道を御殿門に向かって歩き、御殿門を右に見ながら更に参道を進むと、律川に架かる橋があり、橋を越えたところから下りの勝林院本堂参道となる。参道は勝林院入口手前で左折し奥の宝泉院(ほうせんいん)に至る。宝泉院は南隣りの実光院と同じく勝林院本堂を自らの本堂と仰いでいる。勝林院本堂の向きを調べると約67km南南西の(羽曳野)白鳥陵中心に向いていた。本堂中心と白鳥陵中心を結ぶと、途中に南禅寺境内-清水寺仁王門-泉涌寺境内-東福寺境内-伏見稲荷境内-(応神天皇皇后)仲津姫命陵-応神天皇恵我藻伏岡陵中心付近を通過した。よって本尊の阿弥陀如来は日本武尊白鳥陵、応神天皇陵、仲津姫陵などを遥拝している。神を仰ぐ阿弥陀如来の目線を下から見上げる姿となるよう勝林院本堂を坂道参道の下に建立したのだろう。阿弥陀如来の目線を左右2度ほど広げた先には、京都東山山裾にある浄土宗系の法然院、永観堂、浄土宗総本山、知恩院がある。勝林院を本堂と仰ぐ宝泉院は、客殿など建屋全体で南南西の(京都)八坂神社本殿を遥拝している。その南隣りの実光院は(高野山)金剛三昧院本堂を遥拝している。宝泉院が遥拝する八坂神社の祭神はスサノオ、勝林院が遥拝する陵墓の神は日本武尊、応神天皇。実光院が遥拝する金剛三昧院には源頼朝の墓がある。すべてスサノオの子孫であり徳川氏(河内源氏)の先祖である。若狭彦神社上社中心と(比叡山延暦寺)文殊楼中心を結んだ神の通り道は宝泉院客殿の西南端とゴヨウマツで有名な額縁の庭園、実光院の客殿と契心園、三千院圓融房を通過した。客殿南にゴヨウマツ(五葉松)があり、客殿西に大原の里がある。客殿内部から見て額縁の庭園(盤垣園)となる。客殿はゴヨウマツがある南に八坂神社本殿を、大原の里山がある西に(ソウル)昌徳宮を遥拝している。更にその先には(北京)紫禁城がある。縁側の天井は血天井で、伏見城の戦いで自刃した徳川家の家臣の忠義をかみしめながら庭を見るようになっている。ゴヨウマツを眺めることでスサノオにつながる徳川氏への忠義をかみしめることができる。大原の里を見ることで徳川氏への忠義を第一に考えながら李氏朝鮮、清朝に思いを至らすようになっている。この単純さが心地よい。人よりずっと長生きしている巨大なゴヨウマツと血天井が鑑賞者を謙虚にさせる。ゴヨウマツは徳川氏の母体、松平氏を連想させる。2年前、ゴヨウマツが病気にかかった。それ以前に見た美しいゴヨウマツが懐かしい。美しいゴヨウマツに戻ることを祈るばかりだ。客殿西にモウソウチクが育ち視界を狭め遮っている。作庭当時、モウソウチクは日本に存在しなかった。モウソウチクが育ったのもそれほど昔のことではないので、思い切ってすべての竹を刈り、スギ大木の幹と幹との間に大原の山里を見せ、本来の美しさを取り戻してはどうだろうか。苔面そのものが山の頂を高く見せるため平面となっていて、そこに山の頂きに合わせたいくつかの石を置いただけの、典型的な山を借景とした庭であり、円通寺庭園と同じく薄暗い室内から薄暗い庭を通し、鑑賞者の瞳孔を開かせ、大原の里山を心に取り込ませてはどうだろうか。南に巨大なゴヨウマツを見て感動させるように、同じく山里風景にても感動させる庭だと思う。尚、ゴヨウマツの背後の樹木も大きくなりすぎ借景を消している。客殿の中から格子越しに見せる小さな鶴亀庭園は心を込め、小さいことに気を配って茶を立てることを意識させるため、小さいパーツで構成されている。たくさんの種類の樹木を池周囲に小さく育てている。池は壁を隔てた山側の外池とつながっていて、外池に流れ込む瀧の水音や、竹をつたう水の落水音が聞こえる。豪快なゴヨウマツや大原の山里を見せる額縁の庭と比べると一見見劣りするが、江戸末期の庭は文化の極みといったようなところがある。まもなく戦争に明け暮れる明治、大正、昭和がやってくることを恐れたような、平和を慈しむ空気が流れている。