常照皇寺(京都市右京区)

常照皇寺(じょうしょうこうじ)臨済宗天龍寺派

1362年(貞治元年)当寺を開山した光厳上皇と「石清水八幡宮」「天野山金剛寺」とは縁深い。1352年(正平7年/文和元年)2月(南朝)後村上天皇は摂津住吉(大阪市住吉区)で行宮を置いたがすぐに撤収し(石清水八幡宮のある)男山に入った。そして(北朝)光厳・光明・崇光の三上皇を男山に連行し、1354年(正平9年/文和3年)3月に三上皇を天野山金剛寺に移し3年間滞在させた後、戻した。この常照皇寺には光厳天皇の山国御陵が、天野山金剛寺には分骨御陵がある。渋滞を抜け山道に入いり気持ちよく走り出してからしばらくすると、いつまでたっても常照皇寺に到着しないような気になってくる。光厳上皇はなぜ京都の山奥にかつて常照寺と呼ばれた山寺を作ったのだろうか。信者を多く集めるような名前なのになぜ山奥に開山したのだろうか。そう思いながら車を運転していると常照皇寺に到着した。サクラの季節は多くの観光客が訪れるが、冬は庭を独り占めできるほどの山寺である。

(方丈北側)「方丈庭園」は方丈内からガラス戸を通して楽しめる。暗い室内から見る太陽光に照らされた庭は色鮮やかな絵画のように迫って来る。ガラス越しに見える庭石の大きさが程よい。本尊が鴨居上に安置されているので方丈内のどこからでも庭が鑑賞できる。寺名に比べて小さく感じる本尊が天井近くに安置されているのが不思議だ。方丈廊下に出れば方丈に迫って来る庭を全身で受け止めることができる。庭が迫って来る訳は、禅定池に並べた大きな礎石が方丈から開山堂へ向かう渡り廊下を支えていること。崖状の庭面が池に迫って来ていること。庭背後に背高いヒノキの大木群を配していること。それらの相乗効果で、崖面状の庭面がそびえ、迫って来るように見える。山腹を利用した庭面は棚田のような石組みをしている。庭面の右側には陰の世界を極めようとする築庭者の意気込みが感じられる枯瀧がある。庭面の左側には急こう配の農水路のように山水が流れる瀧があり水が禅定池に注がれている。禅定池の水は透明で黒い鯉が泳いでいる。瀧の音色が田舎の農水路に流れる水音のようで優しい。水音が方丈廊下に響き渡っている。池の中には亀石などいくつかの石が置かれている。それほど広くない山腹に小ぶりの石をたくさん置くことで庭を広大に見せている。宝石をちりばめたようなたくさんの小ぶりの石とサツキの丸刈が上皇の庭らしい。優しい音色の流水音がその効果を高めている。築庭当初、石灯籠は置かれていなかったはずで、もし石灯籠すべてを撤去したら庭に緊張感はなくなるが崖面(大地)と対話できる室町庭園に戻れると思った。大地と対話できる室町庭園をベースに、江戸時代にシャープな庭へと手直しされ、明治時代に近代的な普通の庭へと手直しがされた印象を受けた。明るい庭石がコケ面に映え鮮やかで、庭がにぎやかに見えるのは幾度かの手直しの結果かも知れない。方丈と開山堂を結ぶ廊下の上側は目隠し壁となっている。渡り廊下を使い開山堂から方丈へ移動する際には視線が禅定池のみ行くようになっている。禅修行促進のためかとも思ったが、渡り廊下を通過する際に庭を見せないことが第一目的のような気がした。この庭にはあまり人に見せたくないもの、見てはいけないものがあるのかも知れない。

そう思って方丈廊下から庭を見上げていると庭頂点の二つの祠が目に止まった。祠の背後にはカエデ、更にその背後にはヒノキの大木群がありカエデとヒノキが二つの祠を背後から守っている。望遠鏡で庭頂点の二つの祠を眺めると、奥の小さい祠に丸い鏡が置かれていることに気付いた。庭の三基の石灯籠はこの二つの祠を指し示しているかのように置かれている。鏡の材質や大きさは判読できないが神鏡に見える。神鏡は鏡面を天空方向へ向けているので、どこからか送られて来た光を天空方向に反射させるためのものだ。神鏡を置いた理由を普通に考えればどこかの神社が発する光を反射させるためだろう。神鏡が南を向いているので常照皇寺の真南にある寺社、霊峰を調べて見た。常照皇寺の東経は135度41分7.3秒、左右1分差(約1.5㎞の距離差)には下記の各寺社と霊峰があった。

天龍寺    東経135度40分25秒(河内源氏の足利尊氏が開基)

石清水八幡宮 東経135度42分02秒(河内源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏が氏神として崇敬した)

正法寺(八幡市)東経135度42分03秒(尾張徳川家の宿)

生駒山    東経135度40分44秒(霊峰)

宝山寺    東経135度41分11秒

金剛山    東経135度40分23秒(霊峰)

転法輪寺   東経135度40分19秒

石光寺    東経135度41分42秒

当麻寺    東経135度41分40秒

葛木水分神社 東経135度41分52秒

高天彦神社  東経135度41分45秒

上記の中で神鏡が反射するに値する光信号を発信していると思えるのは石清水八幡宮、そして霊峰の生駒山、金剛山。

常照皇寺と石清水八幡宮との東経上の距離差は+約1.37㎞、生駒山との東経上の距離差は-約575m、金剛山との東経上の距離差は-約1.1㎞。常照皇寺は東経上で石清水八幡宮と金剛山との略中央にあるので、石清水八幡宮と二つの霊峰が発する威光、五光を受けているとも言える。しかし、霊峰が発する五光は全方向でどこか特定の場所に照射しているとは考えにくい。

前回紹介した石清水八幡宮を振り返って見ると「御本殿」の東と西の縁(ライン)が常照皇寺にピッタリと合っていた。「御本殿」の背後に常照皇寺がピッタリと控える形となっている。石清水八幡宮が発した光を神鏡にて天空に反射させていると考えた方が理にかなう。考えてみれば、日々、石清水八幡宮を参拝する人々の数は一般神社の比でない。「御本殿」に参拝する人々の願いはとてつもない数で、その祈願の一部は「御本殿」を突き抜け、光信号のように「御本殿」後方を照射し続けている可能性がある。少なくとも「御本殿」での礼拝は方角的に常照皇寺への礼拝に通じている。常照皇寺はその礼拝信号を神鏡で受け止め天空に反射していると読み取るのが自然ではないだろうか。神社の祈願と仏寺でのお祈りとは本質が違う。神社祈願はストレートで強烈な願いを込めている。

ちなみにイザナミの墓所があると言われる「比婆山(広島県庄原市)山頂」とイザナギ・イザナミの2柱を祀る「多賀大社」とを線で結ぶと常照皇寺の神鏡を置く祠のあたりを通過した。イザナギ、イザナミが二つの祠を護っているという事だろう。

当寺最大の役割が石清水八幡宮から照射された信号を神鏡で天空に反射させることであれば、かつての寺名「常照寺」、本尊が鴨居上に安置され方丈内から本尊を見上げて礼拝すること(本尊を見上げて礼拝することが方丈庭園内の神鏡に同時に礼拝することに通じること)、寺名に比べて小さく感じる本尊、禅定池をまたぐ渡り廊下から庭を見せないことなどの説明がつく。

石清水八幡宮から常照皇寺までの距離は35.8㎞、海抜143mの男山の山頂にある石清水八幡宮「御本殿」の高度は145m程度、そこから照射される光を受け止め反射する神鏡付近の海抜は約330m程度、高度差約185m、球状の地球を考慮すると両者が直行直線で完全に結ばれている訳でないが大きく外れている訳でもない。高度を考慮しなければ地表面において両者は直線で結ばれている。おそらく「比婆山山頂」ー「多賀大社」のラインを考慮し、この地に庭を作ることを定めたのだろう。

以上の理由で当寺の神鏡は石清水八幡宮「御本殿」が発する礼拝パワーを天空へ反射するために設置され、当寺の役割は礼拝パワーを天空へ反射し続けることだと断定できると思う。石清水八幡宮「御本殿」と当寺とは切り離すことができない深い関係がある。古代の儀式と思われることが今なお続いていることに礼拝、祈りの深さを学んだ。

次に、常照皇寺方丈などの建屋、及び後花園天皇後山国陵の向きを調べてみると大阪城本丸御殿跡、難波宮大極殿跡にピッタリと合った。常照皇寺の参道は住吉大社から住吉公園の間に向いていた。このことから常照皇寺は自らの祈りを大阪城本丸御殿と住吉浜に送っていると観た。こじつけ理由になるのかも知れないが、江戸時代における大阪の重要防衛拠点は大阪城と住吉浜だったのでこの重要2拠点に平安無事の祈りを捧げていたのではないだろうか。

再び方丈庭園に戻る

方丈北側の廊下から開山堂の後ろに天皇陵入口の建屋が見える。天皇陵に対する祈りの庭でもある。山寺なので静かだ。崖面状の庭との会話が弾みそうだ。この静けさにて庭が発する大地の声を五感で感じることができる。ヒノキなど大木が発する匂いも清々しい。崖面上の築山は棚田のような石組みで百姓が毎日毎日、稲を育てる棚田のようだ。日々一段一段と繰り返し修行を進めることを諭しているようだ。瀧(水路)を通った山水が発する音色が子供の頃、田舎で聞いた水路の流の音に聞こえる。現代の田舎の水路はコンクリートで固めてしまったのでこのような水音を寺以外で聞くことがなくなった。この風景と水音は日本の原風景なので懐かしさがこみあげてくる。

方丈上座の間近くの廊下に座りじっくりと庭を見ていると、崖面のような庭が迫って来る。庭頂点に置かれた鏡石が乱反射する光に照らされているように感じてくる。崖面上の築山の石々が人々の顔に見えてくる。庭石は太陽の光を受け呼吸し生きている。周囲の樹木も生物だ。まるで生きている石々から見つめられ、石々に心を見通されているような気になってくる。上座の間は人々の思いや願いを感じるための部屋なのかも知れない。

方丈前(南側と東側)はコケ面で、御所より枝分けした「左近の桜」「九重桜」「御車返しの桜」を大木に育てている。方丈前のサクラの傍には大きな石を置いている。大木には大きな石で対応することで大木をより大きく見せ、借景の大木には大きな石で対応することで借景をより豪快に見せる。方丈前に太陽光や月光を反射する白砂を敷かなかったのは、方丈庭園に神鏡を置く山寺だからだろう。白砂の代わりに御所より枝分けした「左近の桜」を植えたのかも知れない。


Warning: file_put_contents(): Only -1 of 79 bytes written, possibly out of free disk space in /home/tankenteien/www/wp/wp-content/plugins/ewww-image-optimizer/common.php on line 14190