相国寺 慈雲院

方丈南庭「京の冬の旅」非公開文化財特別公開ガイドが「この庭は立石に丸くくり抜いた穴で太陽を、サイコロ状の石に半月状にくり抜いた穴で月を、白砂で私情を示し、宇宙の全てを表現していると住職が言っていました。」と禅問答的な解説をしてくれた。見たままを書けば、一般家屋の南向きの庭と同じく借景山なし、住宅と保育園の建屋が見え、広い空が見える明るい現代庭。白砂と苔面の境に、昭和の雰囲気が漂う花壇を小ぶりの石で囲む技巧を用い、枯山水池の護岸石としている。枯水が流れ込む瀧が無く、小さな石で池を取り囲んでいるので、雨水の溜まり池とも見えるが、禅問答庭とすれば小さな枯山水池は大海原、苔面は大陸、地上に昇り、沈む、太陽と月を見せ、大海原を人情の集合体とすることで、人が何を思おうが、何を行おうが、太陽と月は決まって昇り、沈む。そして日が過ぎていくことを見せている。農家の庭を連想させる柿が方丈近くに育てられていることに驚いた。柿で百姓の日常生活を表現されている。隣接して和敬学園や心月保育園があるので、柿にて心温め、志を同じくして生きることを提唱されているのだろう。方丈裏庭、当地は水はけの良い地域なので、軒先などからの雨水を集め土に吸収させるための掘り込んだ枯川がある。推測だが、かつては北に低い借景山があり、低い山を高く見せるためと借景バランスを考え浅い枯川の掘り込みを配したのだろう。本来は借景山と樹木にて風を感じさせ、地面を掘り込み苔面とすることで巨大な地下エネルギーを感じさせていたと思う。今は借景山を失い地下エネルギーを感じることができなくなりダイナミックさと武家庭園の面影を失ったが、樹木による季節の変化を楽しむことができる。方丈内では対馬にて2年間朝鮮修文職を務めた後、南禅寺住持となり、幕府に朝鮮外交について献策した大典顕常住持の肖像画を拝観させて頂いた。約243年前に日本外交の最前線のトップとして活躍され、その後、幕府の外交方針に関わる仕事をされた高僧の表情は常識的で、ものごとを良く噛み砕き考察されていた印象を受けた。