當麻寺西南院

修養の庭

山と書院に囲まれた庭なので夏は蝉の声が響き渡る。風が吹けば樹木が発する音が庭に響き鑑賞者の心を揺り動かす。書院から見ると崖面の石組み、半島状に突き出した亀島、亀島に掛かる石橋、いくつかの灯籠、西塔などに目が止まる。春はサツキと若葉、秋はカエデ、基本は江戸庭園樹木だが綺麗な花が咲きそうな樹木も植えられている。庭を回遊すると心字池に映る西塔など見せ場が多くある。白系の石を使っているので夜は庭が白く浮き上がり、池に映る月が楽しめる。庭は西塔を借景とし、庭に完全に取り込んでいるので、庭のエネルギーは西塔に集中し天に向け放出しているような、或いは天の気が西塔から庭に降り注いでいるように見える。書院など建屋は北に若狭彦神社上社を、東に安倍文殊院を遥拝しているので、建屋方向に沿って南側の庭を見ることは若狭彦神社上社の神を背に庭鑑賞することに通じ、書院西側に座り室内の東側を見ることは 安倍文殊院を遥拝することに通じている。西塔は、北に石清水八幡宮本殿を、東に耳成山口神社を、西に(対馬)和多都美神社と海神神社、そして(インド)ブッダガヤの大菩提寺を遥拝している。(インド)ブッダガヤの大菩提寺と耳成山南端を線で結ぶと書院など建屋と西塔の間にある目前の庭を通過する。(淡路島)伊弉諾神宮と(奈良)磯城瑞籬宮跡を線で結ぶと書院を通過する。よって庭池は遥拝線上を行きかう日本の神々、如来、菩薩が遊ぶ場所の意味にとれる。現代、無宗教者が増え疲れた神々や佛が庭石に座り疲れを癒しているのかも知れない。書院内の部屋から空は見えず山だけ見えるので山中にいることを感じさせる。無風時、室内から山を見ると易経「52艮為山」深山のように自らの分限を知り、かたくなに分限を守り、己の信ずる正しい道を守るべきことを見せる。羨望することなく誘惑に道を踏み外さないためには山のように見ても見ず、蝉の声が聞こえても聞かず、踏み出すことなく止まるべきことを教えてくれる。山また山の中、時が止まったような所で、精神を止め一生懸命学べと諭してくれる。風が山の上に吹き樹木が揺れ風の音が聞こえれば「53風山漸」ものごとが止まったような山中だが、風が吹けば樹木が成長し変化する。ものごとに終わりはない。急がず慌てず学習を続けよと諭す。縁側に座れば高い空と西塔が見え風景が一変する。高い青空を仰げば「33天山遯」山は天に接しているように見えるが、山の上の天を追いかけて見れば、遥か遠くに離れていく。天と山は師と弟子の関係。師を追いかければ追いかけるほどに師は遠くに離れて行く。弟子はいずれ師から離れていく。離れる時期は早すぎても遅すぎてもだめだ。その時期を見極めよと語ってくれる。山で囲まれた心字池に青空や西塔が映る情景は「26山天大畜」山が天を包み込んでいる。至誠・真心の心で大いなるものを畜えたものになる。心字池に綺麗な水を貯えるように澄んだ知識と情を心に流し入れ貯え、汚れたものを流し出す。悟りの心境とは澄んだ心に天を映すこと。天を映すほどに心を静めよと教えてくれる。江戸中期の庭改修は易経の教えと仏教の世界を庭に吹き込むためのものだったと推測した。