元興寺(極楽坊)

鎌倉時代に据えられた本堂、禅室は北に比叡山延暦寺東塔を、南に(明日香村)岡寺を遥拝している。町割りから、かつての元興寺伽藍は比叡山延暦寺東塔と治田神社(岡寺に隣接する岡寺跡にある神社)を遥拝していたことが読める。比叡山延暦寺東塔と治田神社を結ぶ神佛の通り道は(聖武天皇陵の右隣)光明皇后陵-(興福寺)南円堂-元興寺(極楽坊)西約50m-奈良町にぎわいの家-元興寺(塔跡)西約120m-元興寺小塔院跡東約70m-ならまち格子の家西約40m-(天理)三十八社を通過する。比叡山延暦寺、岡寺の境内は広く、この神佛の通り道の両側には多くの古墳、寺社があり、岡寺の南には石舞台など古墳が点在しているので、元興寺伽藍跡は幅広い神佛の通り道の下にある。伽藍跡にある当寺・奈良町にぎわいの家・ならまち格子の家も北に比叡山延暦寺東塔を、南に岡寺を遥拝しており、大きな神佛の通り道に包まれている。元興寺(塔跡)の塔礎石は神佛の通り道に沿っている。但し、元興寺(塔跡)の本堂は近代に建て替えた際、本来の遥拝先を考慮されなかったようだ。本堂、禅室は西に吉備津神社(備中國一宮)本殿を東に御蓋山の山裾を遥拝している。両者を結ぶ神の通り道は難波宮跡-生駒山頂付近-往馬大社(往馬坐伊古麻都比古神社)本殿を通過する。新薬師寺は西に(神体山)吉備中山頂上を遥拝しているが、この遥拝線は、元興寺南大門跡付近を通過している。以上のように南北方向、東西方向の神佛の通り道はかつての元興寺伽藍跡を包み込み、直角に交差している。その交差点にあり、神佛の通り道に沿った建屋がある当寺・奈良町にぎわいの家・ならまち格子の家の庭は美しくなって当然だと思った。(当寺)小子房(極楽院旧庫裏)の小さな苔庭には日本古来の幹の細い背の低いタケが育てられている。風の通り道にあるので、風が吹けば多くの小さなタケが大きく揺れる。葉の動きと音が心を揺さぶる。庭は東西の神の通り道に沿っているので、まるで巫女が鈴を持って舞っているようだ。庭入り口に井戸が、中央に比叡山に向かって佇む石仏が、奥に礎石が置かれている。苔面にはシダ、ウコン属のような多年草が育ち、ツバキ、カエデなどが季節を感じさせる。茶室前の蹲を取り囲む小さな庭にウメとアセビが花を咲かせていた。タケ筒を通し蹲に水を注ぐ単純な意匠が優れている。まるで真言宗の一途さを表現しているかのようだ。