かつてここに興福寺子院、四恩院があり、その境内に浮雲神社があった。そのことから浮雲園地と名付けられた。現在の浮雲神社は奈良国際フォーラムの東にある。園地内の庭は四恩院衆会所跡だと思える。池の護岸石に目をやると護岸石と築山の間に隙間が空いており、土が細っているので、江戸初期か中期の作品だろう。庭から御蓋山を拝むことはできないが、借景の若草山に合わせた築山があり、綺麗に剪定された多くのアカマツが美しい。アセビが山深さを、カエデが季節の変化を見せる。庭の東北、築山上にはかつてあった十三重塔を彷彿させるモミの大木がある。ゆるやかな傾斜の芝面の築山中央、えぐったように深く掘り込んだ、かつて水が流れていたような男性的な瀧石組がある。池水は御蓋山の濁るでも澄むでもない水が築山右端の谷から注がれるようになっている。池の中には瀧石組と対照的に女性的な柔らかい雰囲気の二つの中之島がある。中之島の周りにポツリポツリと石が置かれ、その中には神の着座席石もある。見応えある瀧石組は近くの吉城川の石組と同じく、谷に分け入り瀧を超えれば御蓋山の奥に潜り込めそうな雰囲気になっている。天皇を中心とした現体制を創設した奈良の歴史を感じられるよう、瀧は創世期の雰囲気を出している。瀧の出口には炎のような形をした少し赤色を帯びた石が、沢上の炎のように置かれ、谷沢の傍、築山上にも炎のような石が置かれている。沢に立つ炎は「38火澤睽(かたくけい)背反して応和」火は炎上し、沢水は下向するので和合することがなく離反している。お互い引き合うが、なかなか一緒になれない男女のように見せ、つかみどころのない沢と火から、蒸発水が浮雲になり一緒になる様を見せている。沢谷傍ら、築山に立つ炎は「56火山旅(かざんりよ)移り行く火」山火事の火は場所を変えて行く。火を旅人に見立て、常道に背く旅先での出会いの縁などまとまらないほうが良いように見せ、足が地に付かない浮雲を連想させる。連想させた浮雲から、御蓋山頂上の浮雲峰、そして春日権現に思いを馳せらせ、鑑賞者の心を瀧に引きずり込み、春日権現と一体感を持たせるようにしている。