雌岳頂上は明るく大和葛城山から明日香方面に視界が開けている。雄岳頂上は樹木の中にあり幹や梢の間から大阪平野が見え、付近には神が宿る低木のサカキの拝所からなる葛木二上神社、そして大津皇子の墓がある。大津皇子の墓は二上山城の二の丸跡を利用し、石垣の上に盛り土した補修墓なので飛鳥時代のオリジナルではないが、雰囲気良く天武天皇、持統天皇の時代を身近に感じる。ラクダの背のような良い形をした山なので、大阪平野、奈良盆地からの目印となっており、奈良側の山裾にある葛木倭文座天羽雷命神社は葛木二上神社の遥拝所であったと伝わるも、滋賀、三上山ほどメジャーな神体山にならなかった。雌岳山裾には高松塚古墳、マルコ山古墳の石材として使われた石切場跡、飛鳥時代後期に創られた岩屋と呼ばれる石窟寺院、鹿谷寺跡があるなど、神仏習合の世界を見ることができる。大阪側の山裾、河内飛鳥には数多くの陵墓・古墳が、奈良側には當麻寺などいくつかの寺院や寺院跡があり、古墳時代以来の信仰地であることが見て取れる。河内源氏三代の墓がある羽曳野、そして古市古墳群から近い。古墳時代、飛鳥時代の歴史が秘められた二上山とその麓の陵墓・古墳群は守り続けられ、見学させてもらえ、神社や寺院での祈りが続いている。このようにして神道と仏教が日本人の心に刻まれ、日本独自の文化が生み出され続いて行くのだろうと思った。