養翠園(和歌山市)

養翠園(ようすいえん)

この庭は養翠亭から太陽を背にして東方向の天神山を仰ぐのが一番美しく見える。緑が鮮やかに、空がクリアに見える。養翠亭周辺は芝面で、その先に波穏やかな海水池が東方向に広がっている。細長い池だが養翠亭からは遠近感にて丸い池に見える。水深は浅いが底泥の色が濃く水面が鏡面となり天神山と青空を綺麗に反射している。浄土式庭園のように池を樹木で囲み、借景の天神山を崇拝対象とし、崇拝対象を水面に反射させた形だが、浄土式庭園よりはるかにシャープで美しい。江戸庭園の洗練された技巧が冴えている。足元に明るい芝面、そして池の水面に明るい青空と天神山が映っている。上空には青空が広がっている。上下の明るい青空に挟まれた二つの天神山はその深い緑色を青空の中に沈めている。養翠亭付近のマツの枝が天神山を遠くに見せ、芝面上のほどよい大きさの庭石と池の水面から頭を出す小さな石々が天神山を大きく見せる。小さな石々は尖がった部分を天に向ける自然な姿で置かれ、尖った部分と天神山の尖りを合わせることで天神山をより高く見せている。

池周囲の護岸石は小さく、護岸石を頼りなさそうに積み上げたことで穏やかな池を見せている。池右岸手前に上田宗箇流の石組みがされているが、踊り出す一歩手前で止めた石組みとなっている。上田宗箇が組んだものでないことは一目で判る。冬の芝面は太陽光を反射する陽面、夏の芝面は陰面、池の水は陰だが青空を反射する水面は陽面、庭周囲のマツ、ウバメガシは暗く沈む陰面、天神山も緑色を深く見せる陰面、その上空の青空は陽面。陰面と陽面とを交互に帯状に見せることで風景がデジタル化されている。この庭の鑑賞は理論的な思索の世界へ導いてくれる。池の水面の微弱な波立ちと、心の微妙な動きとも同期し心が落ち着く。和歌山城から小舟に乗り水軒川を下り海の口から園内に入ると、目の前に山並みに包まれた美しい庭が展開し、感動させる設計となっている。まるで躙り口から茶室に入ったような感動を与える趣向となっている。そこには自然界で見ることが稀と思える海水の池を緑が取り囲む異次元の風景が待ち受けている。庭北側の大刈込にトベラ、ウバメガシ、モクシレイなどが見られた。庭東側のマツの背後には多数のウバメガシを大きく育てていた。庭西側には花の美しいアズマシャクナゲ、トベラが植えられていた。庭のあちこちにヒイラギが植えられ、玉チラシとしていた。庭園内には紅葉になる木は見あたらない。赤い実をつけるセンリョウ、マンリョウも見当たらない。赤い花をつけるツバキはあった。

天神山の方から上がる中秋の名月は芝面や水面を明るくすることだろう。名月は空も明るくする。その明るい中に天神山が黒く沈む。天神山上空の明るい月と池に映る月とは黒く沈んだ風景の中で神々しく見えることだろう。海水を取り入れた池は清清しい。海水池に舟を浮かべ、舟から月を楽しむと更に心に響く感動があるだろう。山の風景の中に海水池があり、海鳥や海の魚を楽しめる。この意外性も楽しい。天神山の神々しさは遥拝ポイントを設けたことから来たものだろう。グーグル地図で養翠亭の南部屋と紀州東照宮とを線で結ぶと庭内中央、池の中島にある守護神、弁財天の社(やしろ)を通過した。養翠亭南部屋から東方向、池の中島の社を見ることが紀州東照宮遥拝につながっている。養翠亭南部屋と和歌浦天満宮とを線で結ぶと、標高93mの天神山山頂を通過した。養翠亭の南部屋から東方向、天神山山頂を見ることが和歌浦天満宮遥拝につながっている。養翠亭建屋の東西方向の縁は高野山金剛三昧院にピッタリと合っている。南北方向の縁は福知山城朝暉神社にピッタリと合っている。池の中の西湖の堤防を模して作られたL型堤防も東西方向は高野山金剛三昧院にピッタリと合っていた。南北方向は福知山城朝暉神社にピッタリと合っていた。高野山金剛三昧院は源頼朝の墓がある将軍家の菩提寺、福知山城は明智光秀が築城居城し本能寺への進軍を開始した城。紀州徳川家は源頼朝、明智光秀に敬意を示していたことが読み取れる。養翠園から直線距離1.11㎞西西南にある海に突き出した美しい番所庭園。その番所の鼻は約35㎞東東北に位置する丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)を背後に海に突き出す地勢になっている。番所庭園内の建屋の方向や直線道は丹生都比売神社の方角に一致させている。番所庭園と丹生都比売神社とを結んだ線は養翠園のど真ん中、守護神の社を通過した。源氏の聖地を遥拝する線を使えば庭が神々しく美しくなる。それを教えてくれるような庭だ。