根来寺

約40年前に初めて参観した時は奥深い山中にある巨大寺院の雰囲気があり、根来衆の拠点跡らしいと感じた。今は車で関西空港から容易に訪問でき、驚きは無くなったが、日本最大の多宝塔(大塔)と名勝庭園は心引くものがある。1585年(天正13年)豊臣秀吉軍の紀州攻めにより伽藍は炎上、大伝法堂は解体され持ち去られたが、大師堂、大塔が残った。紀州徳川家が多くの建屋を再建し、庭園を作った。庭に神の着座石があるので、神佛の通り道が多数交叉していると思いグーグル地図に線を引いてみた。(姫路)随願寺と熊野本宮大社大斎原を結ぶ神佛の通り道は聖天堂を通過した。(奈良)崇仁天皇山邊道勾岡上陵と(鹿児島)霧島神社本殿を結ぶ神の通り道は大和天神山古墳-上赤坂城(楠木正成の本城)址-当寺-高千穂峰天逆鉾を通過した。天武天皇・持統天皇檜隈大内陵と高千穂神社本殿を結ぶ神の通り道は(金剛山)葛城神社-大塔付近を通過した。(大峰山)大峰山寺と(対馬)海神神社を結ぶ神佛の通り道は大伝法堂・大塔の約20m北側-高松城桜御門-を通過した。(当寺)大師堂はこの神佛の通り道に沿う方向に建てられ、大峰山寺と海神神社を遥拝している。大師堂は更に北の(若狭湾)冠島(籠神社の奥宮)を遥拝している。(奈良)般若寺本堂と(和歌山)紀三井寺本堂を結ぶ佛の通り道は(当寺)大伝法堂-(和歌山)天王塚山古墳を通過した。 (韓国)洞華寺と(高野山)大門を結ぶ神佛の通り道は(当寺)大塔を通過した。空海が学んだ(中国西安)青龍寺と空海が高野山建立する際に土地寄進した丹生都比売神社を結ぶ神佛の通り道は大門・(塔頭)蓮華院付近を通過した。これら各聖地は広いので当寺全体が多くの神佛の通り道の交差点になっている。伽藍は物事を一途に追及する真言宗の雰囲気を漂わせているが、(中国風の)鐘楼門、伽藍の聖天堂、行者堂、書院、東西方向に伸びる廊下は(鑑真が住職を務めた)揚州大明寺を遥拝している。光明殿は(淡路島)淳仁天皇淡路陵を遥拝している。伽藍から少し離れた大伝法堂、大塔、大門は独特な雰囲気を持っている。グーグル地図で調べて見るとチベットラサのトゥルナン寺(ジョカン)、ポタラ宮など密教の聖地を遥拝していた。大門はトゥルナン寺(ジョカン)、ポタラ宮の方角に門を開いている。この遥拝線の少し北側には西安、鄭州もあるので、西安の各寺院や少林寺も遥拝していると言える。日本離れした大塔の雰囲気は遥拝先の聖気を受け入れているからではないだろうか。庭に真言宗の悟りの世界、煩悩無き世界が表現されている。踊るような石組はないが一つ一つの石に動きがある。書院の北側廊下から池を見ると、島に向かって伸びる石橋、島と島を結ぶ危なっかしそうに架けられた石橋、その次の島との間に洞窟を作る石橋を追いかけることになる。浅い池の水面には木が映り、山が映り、空が映っている。鏡水面だが水が澄んでいて池底が見える。水面にはスイレンの葉が浮かび、草が水中から葉を出している。書院傍に神の着座石があり、池の対岸の山の奥には立石と深山峡谷を模した渓流がある。書院の西側廊下に座ると山の斜面からいろいろな鳥のさえずりが聞こえてくる。まるで曼陀羅図のように自然界を凝縮したような、神が庭に座っているような、落ち着いた庭だ。庭手入れが行き届いている。神佛の世界を表現しているからなのか、山と伽藍に囲まれ風があまり通らない庭だからか樹木が神々しい。樹木は読経に包まれた庭の中で育ったせいか葉の一枚一枚までもが佛の世界で育った感じがする。少し黄灰色系の白砂、穏やかな砂模様の白砂面に並べられた四角い平らな飛び石を伝うと、山裾からせり出した半島に渡る石橋に至り光明殿に向かうようになっている。自然界の森羅万象を取り入れ、悟りの世界を表現した庭に酔いしれる。ふと見上げると青空が見え我に返る。森羅万象を表現した庭を眺め何もかも判った気持ちになることや、伽藍の中で仏像に祈り佛の英知を会得した気持ちになることだけでは真に悟ったことにならない。庭や伽藍上空には大空が広がり、太陽があり、大宇宙がある。人は大自然、大宇宙の下でその一員として生かされているだけである。人が大自然、大宇宙の法則を使い大自然、大宇宙を支配できるものではなく、大自然、大宇宙の法則を学びより良く生きるべきことを感じさせられる。庭や伽藍はそれを感じさせるためにあるようだ。東西方向に伸びる廊下から庭を見ると、山裾に立てられた小さな石灯籠に引き付けられる。小さい石灯籠だが存在感があり、庭の中心となっている。庭中心の石灯籠は自らが中心になろうとする意図なく静かに立っている風だが、多くの庭石が慕い従っている。まるで人が人を支配し続けることなどできない。他人を従わせるには他人から慕われるべきだと説明しているようだ。流動的な人の心を囲み他人を支配しようとすれば他人の心は枯れ自らも困窮に陥る。他人の心を抑えつけ搾取すれば利益を貪れるが他人の心はすぐに折れ、搾取依存者も共倒れする。そのことを迫りくる山と池で表現している。小さな石灯籠とそれになびく石々にて他人の心を喜ばせ流れに乗せれば、他人を長く従わせることができることを表現している。光明殿側から庭を見ると書院が小さく見え、書院の背後に大塔が見える。庭は山と伽藍に囲まれ、白砂が太陽エネルギーを蓄え、ソテツを植えた島があるので温かい庭だが、伽藍上空は風が吹く寒い大空だ。その対比が心に沁みる。真言宗の僧侶は悟りの状態を表現した堂宇と庭の中で終日過ごし、護摩堂で火を焚き一心に祈ることで悟りの境地に達することを見せている。わが身を削るほどに厳しい修行にて悟りの世界を自らの心に実現させる禅宗。その白砂庭は寒々しく見えるものが多い。対しこの庭の白砂面は暖かい。キンモクセイの葉が上品なのが印象深かった。他人を搾取しない、他人を押さえつけない、他人を囲み込まない。そのような自制心と謙虚さを持つことが悟りを体得するに必要だと庭が語りかけているようだ。