十禅律院洗心庭

修復可能な小さな大名庭園

十禅律院内の建屋(本堂、庫裡、護摩堂、塗上門)及び長い参道は北北東の(京都)貴船神社本宮と和泉葛城山山頂近くの八大龍王社(龍王神社 葛城神社)にピッタリと向いている。塗上門・本堂の中心と貴船神社本宮中心とを線で結ぶと、途中に八大龍王社、(河内源氏の棟梁)足利尊氏の墓がある等持院庭園の東側の池、足利尊氏死後百日目に生まれた足利義満が作った金閣寺の境内を通過する。(韓国)洞華寺と(高野山)弘法大師御廟を結んだ線は粉河寺本堂を通過しているが、その線を真似たように十禅律院の建屋は西北西の洞華寺遥拝方向にピッタリと向け建てられている。東南東の弘法大師御廟にも向いているがごくわずかの角度で外れている。参道を本堂に向かって歩くことは遥拝先の貴船神社本宮、金閣寺、等持院、八大龍王社に向かうことに通じ、本堂で阿弥陀如来を拝むことは遥拝先を拝むことに通じている。庫裏お成玄関から藩主が出ることは洞華寺に向かうことに通じている。(韓国)洞華寺を遥拝する寺社は多い。八坂神社の歴史の中に「656年(斉明天皇2年)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座したスサノオを山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まる。」と記載されている。洞華寺こそがスサノオが座したと言われる牛頭山ではないのだろうか。座したとはスサノオの遺品を埋めた地の意味にとれる。洗心庭、説明では成高峰(標高809.65m)を借景としているが、建屋の向きが成高峰の左に見える和泉葛城山山頂(標高858m)近くの八大龍王社なので、貴船神社、八大龍王社の聖なる気が降り注ぐ庭の意味になると思う。庭は借景庭園の基本どおり構造簡単で小さな作りとなっている。和泉葛城山と成高峰を遠くに見せている。貴船神社、八大龍王社の水が洗心庭で湧き出て大海となり粉河寺庭園の大波へと続くドラマがある。サツキの丸刈り群が龍の背のような形に連なり和泉葛城山頂に向かっている。(沼島)自疑神社と(吉野)金峯寺蔵王堂とを線で結ぶと洗心庭を通過するので庭に神の降臨の意味も付けられている。借景となっていたマツが戦時中にすべて伐採され、水田がつぶされ畑となり、放置された竹が手の付けられないような竹林となり、高圧線が空を横切っているので創建当時の借景美観が大きく損なわれている。昭和政府が伐採したマツは松根油にされたが、航空燃料として使い物にならなかった。結果から見ると昭和政府が美しい日本の原風景を航空燃料用名目で潰した。使い物にならない燃料で搭乗員を無駄死にさせるところだった。竹林を松林に戻し、水田を回復させれば本来の大名庭園に戻れる。戦時中に上段は潰されたが、紀州藩10代藩主徳川治宝が座った上段の間がオリジナルの場所に残っている。藩主と農民とが心を交わせることができる水田に近い場所にある上段の間を完全回復させ、竹林を松林へと戻し、荒れた畑を水田に戻せば往時の大名庭園に戻れる。藩主(領主)と藩民(領民)が心を通わせることができる大名庭園が他の国に残っているのだろうか。この大名庭園は修復可能なので、原風景に戻し歴史遺産とすべきではないのだろうか。