粉河寺 出現池庭

沢庵宗彭遥拝庭

「童男堂」建立に合わせて作ったと思う出現池庭は白壁、童男堂、念仏堂、両堂を結ぶ廊下に囲まれ、地割に合わせ四角い池が作られている。四角状の島には童男大士像が、数個の石の上には千手観音像が祀られている。四角に囲まれたシャープな庭の池は美しい緑色で人の心を引き込む。「出現池の庭」を囲む壁に開けられた窓の下に馬蹄石が置かれているが、置き方が遥拝石のようだ。島の中にはマツ、ツバキなどが植えられ、いくつかのサツキ、ツツジの丸刈りがある。薄べったい石を横にしたり立てたりしていることがこの庭の特徴。門と島との間には大きな平べったい石を横にして橋としている。童男大士像の左右に大きさの違う薄べったい石を立てることで、童男大士像の手前で足を止めさす意匠としている。一枚石の石橋がとても大きいので大士像左右の立石がとても小さく見え。小さな立石によって童男大士像、背後の借景山を大きく見せている。大小いくつかの薄い石を横にして石橋とし、島の中では飛び石として並べ、薄い石を立てて足止め石とした結果、非現実的な風景となっている。深いエメラルドグリーン色の池水が非現実世界に深みを加えている。緑色は太陽光線の強さなどで変化する。絵具を溶かしたような緑色に感じる時もあれば、薄い緑色に感じる時もある。池の緑色が千手観音祠の朱色、童男堂の柱の朱色をより鮮明に見せる効果を果たしている。仏足石など庭の内外に立つ石は皆、同じ向きになっている。庭内の馬蹄石も誰かを遥拝する方向に置かれていたので明らかに遥拝庭だ。遥拝先を調べる為、出現池を取りまく「本坊」「童男堂」「仏足石」「念仏堂」「阿弥陀像」の建屋方向に沿って背後に線を伸ばしたら、以前記事に上げた宗鏡寺(沢庵寺)の沢庵宗彭(たくあんそうほう1573年~1646年)墓に到達した。出現池庭の童男大士像、千手観音像を拝むこと、出現池庭外側の仏足石、念仏堂右にある阿弥陀像、童男堂を拝むことはすべて沢庵宗彭墓を拝むことに通じている。「童男堂」建立は沢庵宗彭が亡くなった後の1679年(延宝7年)なので「童男堂」を中心とする建築群が沢庵墓を遥拝する方向に建てられても不自然ではない。徳川家光(1604年~ 1651年)の沢庵への帰依、徳川家の沢庵に対する敬意がよほど深いものだったと思った。尚「本坊」「童男堂」「念仏堂」は東の(鎌倉)鶴岡八幡宮を遥拝する方向に建てられている。「念仏堂」と「童男堂」を結ぶ廊下は江戸城天守の方角に伸びているので、「念仏堂」から「童男堂」に向かうことは江戸城天守に向かうことにつながっている。借景としている山が尊く見える。珍しい形をした出現池庭を沢庵宗彭遥拝庭と表現したい。