高野山内最古の宝善院(丹生院)庭園

玉石を御神体とした庭

小堀遠州作と伝えられている通り、庭の思想性、石の使い方、気の使い方から小堀遠州作の庭だと感じる。庭の奥、蓬莱山を表現した石組み上に一目で近年置かれたと判る雪見型石灯籠があるが、これを撤去し、庭を少し手入れすれば見違える程に美しくなると思う。

当院の細長い書院は東北方向の曲がりくねった奥の院表参道庭を貫く方向に建てられている。庭は当院の長細い書院から東南方向に鑑賞するようになっている。玄関の縁に沿ってグーグル地図上で東南方向に線を伸ばしたところ東南約38.6㎞先、大峰山系最南端の玉置山(海抜1,076.4m)山頂付近の玉石社に至った。玉置山の九合目には玉置神社(海抜962m)がある。玉置神社HPに「玉石は熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた。 玉置神社本殿と玉置山頂上との中程に玉石が鎮座している。玉石社には社殿がなく玉石がご神体となっている。大峯修験道者は、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしとなっている。」と説明されていた。玉石社は大峯修験道の聖地であり、玉石社及び玉置神社の海抜はこの庭(海抜803m)より高い。それらのことから書院から庭を通して玉石社を遥拝し、庭には玉石社を模して玉石を置きそれをご神体として祀っていると判読できた。

玉石を取り囲んで配置された天に向かってそびえ立つような石々と2本の石灯籠は大峰山系及びその周囲の霊峰、霊地の山々を模している。山のような形をした石、そして石灯籠にそれぞれの山の霊気を宿させている。

蓬莱山に見立てた庭奥の石組は庭の中心となっておらず、庭の中心は玉石群である。一番目立つ立石は玉石群の左側、池の傍の石で、書院内から見てこの石だけが太陽光を受け輝くように配されている。庭が遥拝する玉石社のすぐ傍の玉置山を表現したものだろう。

玉置山は大峯山系中、唯一熊野灘が望めると言う。池は玉置山から見下ろした熊野灘を見立てている。とすれば書院から見る庭は熊野灘から見た風景となる。庭の左側から順に山に見立てた石灯籠、石の山の名前を当てた。

庭の左に石灯籠が立っている。この石灯籠は那智山。その右隣り、先ほど述べた太陽光を受け輝く石は玉置山(海抜1,076.4m)。そのすぐ右隣りで苔むした石は釈迦ケ岳(海抜1,800m)、その右奥、蓬莱山に見立てた石組は大峯山系中一番高い八経ヶ岳(海抜1,915m)。その右側の石が稲村ヶ岳(海抜1,726.1m)。その右側手前、池に近い石が行者還岳(海抜1,546m)、その右奥の苔むした石が大普賢岳(海抜1,780m)。

更に右奥の石灯籠が大峯山の修験道の中心、山上ヶ岳(海抜1,719m)だと見た。那智山と山上ケ岳は信仰の中心なので光を発する石灯籠にて見立てたと判読した。

池を熊野灘に見立てているので、池の中に亀島、鶴島はない。玉石面の左背後に亀島の石組がある。亀島のノムラモミジが大木となっている。亀島の右側にナツツバキ(幹がスベスベしているのでサルスベリかも知れない)があり、更にその右側に薄い石が立てられている。この薄い石を鶴に見立て、その周囲を鶴島としている。

この庭は亀島、鶴島を池の中ではなく庭の中に配したことが大胆だ。小堀遠州の庭を真似て作った庭であれば池の中に亀島、鶴島を設けるところだが、芸術挑戦が好きな小堀遠州なので、思い切って亀島、鶴島を陸上に上げ鑑賞者をうならせている。磐座信仰の玉石群の背後に亀島を浮かぶように配し、亀の頭を立てるような石組みにて、亀(亀島)が庭から這い出そうとしている。

鶴島にもトリックを使っている。鶴石を薄い石とし、その一番薄い面の両端を結んだラインの先に山上ヶ岳(大峯山)を当てている。薄い面を使い山上ヶ岳遥拝の目印としている(グーグル地図では正確な方向が判読できないが、修験道の聖地を遥拝するこの庭の主旨から判断した)。この石の薄い面に合わせて幹が垂直な細い樹木と、鏡面のような石を配している。この石を薄い面だけを見ると剣のようでもある。その足元には鏡のような石を置いている。庭に三種の神器(玉、剣、鏡)を配していると言える。鶴を表現した鶴石は飛び立とうとしているので、その正面をどこかの山を代表させることはしていない。

鶴石の更に右側、庭の書院側に二つ大きな石が置かれている。池の近くの石は熊野灘を望める大台ケ原山(海抜1,695.1m)、池から離れた石は大峯山脈北部、吉野山最南端の青根ヶ峰(海抜858m)でないかと推測した。両山とも大峯山系ではないが修験者達の目印となっている。

庭の中心は庭中央に敷き詰めるように置いた多数の玉石である。玉石を水の流れ表現に使っていない。あくまで玉石が庭の中心であり、玉石を神と崇めている。亀島、鶴島を神亀、神鶴と見立て助けを求める人のもとに向かおうとしている。

池の護岸石は比較的おとなしく組まれ、池周囲にはサツキの丸刈りが配され穏やかな表情となっている。池は穏やかな熊野灘を感じさせているようでいて、池の水が濁っているので底が見えず、信仰の山々に見立てた石に囲まれているので、端正な護岸石組が却って神龍が住みついているような凄みがある。池の深さが判らないので、庭背後のマキ、アカマツがよりそびえ立っているように見える。

葉で彩を付けるカエデ、イチョウ。ゴールデンウイーク期間中に高野山を花で彩るアズマシャクナゲが見られた。

庭の中央に玉石社を模し多数の玉石を置き、それをご神体として拝む庭となっている。それが高野山で一番古い庭として存在し続けている訳かも知れない。御神体(玉石)を持つ庭を守り続ける宝善院は永続し続けることだろう。小堀遠州は幾多の庭を作ったが、高野山普門院庭園(海抜828m)とこの庭が一番高所にあり、両庭園ともに神が住むと庭だと感じた。