天空の変化を爽やかに見せている
中国の歴代皇帝が新就任を宣告した(山東省)泰山岱廟を起点として当寺法堂中心に向けて線を伸ばすと、出雲大社楼門と天龍寺境内を通過した。方丈・庫裏は出雲大社本殿を遥拝している。終点を少し北に移動させ法堂の北側とすれば出雲大社御本殿を通過する。泰山岱廟、出雲大社は広いので、当寺から出雲大社を遥拝すると泰山岱廟は重なる位置となる。当寺三門、塔頭の久昌院、禅居庵(摩利支尊天堂を除く建屋)も泰山岱廟と出雲大社を遥拝する向きに建てられている。このことから泰山岱廟と出雲大社の延長線上に当寺と天龍寺を建立し、当寺の一部の建屋を泰山岱廟向け、栄西禅師が禅を学んだ中国に敬意を表したことが読める。出雲大社への遥拝は日本での布教を守ってもらう祈りのためではないだろうか。三門、塔頭の久昌院、禅居庵は南南西に高野山弘法大師御廟を遥拝している。大書院、小書院、方丈、法堂、勅使門などの伽藍は南南西の金剛山国見城址を遥拝する方向に建てられている。そのため西北西の泰山岱廟に対し1度ほど南に向いている。法堂中心と金剛山国見城址を結んだ線上に豊国神社、三十三間堂がある。伽藍を貫く参道は方丈中心-法堂中心-三門中心-勅使門中心を結んだ線上にあるが、伽藍が向く方向と違えている。この参道の先と後には遥拝先がない。その結果、法堂の本尊が三門、そして勅使門の枠内を見て枠内の両端に高野山弘法大師御廟と金剛山国見城址が位置するようになっている。栄西禅師を祀る開山堂及びその門、その奥の大統院は中国で一番古い仏教寺院と言われている河南省洛陽の白馬寺を遥拝する方向に向けて建てられている。開山堂と門の間に石を並べて作った参道も白馬寺方向に伸びている。塔頭、霊洞院は玄奘がインドから持ち帰った経典の翻訳所、中国西安の大慈恩寺、近くの大興善寺、達磨が開いた中国河南省の嵩山少林寺を遥拝している。以上のように建仁寺全体で中国各地の有名仏教寺院を敬っている。大雄苑は清々しい庭となっている。中国、百丈山の元の名、大雄山から名付けられた。明治以降の近代を表現するためか、本来庭に向かって右側にあるはずの二股に分かれたクロマツが左側に、左側にあるはずの一本幹のクロマツが右側にある。伝統的な雌雄の位置とは逆になっている。大雄苑に続く方丈の西北にある茶室「清涼軒」「東陽坊」まわりの露地も同じように清々しい。茶室を眺めるため露地に入ると目につく低木に育てられたツバキ、モッコク、クチナシ、ヒサカキ、サザンカ、アオキ、ネズミモチなど共に葉が楕円形の常緑樹で、美しく剪定されている。アオキは大木の影に育てられ葉が青く、低木に刈り込まれた他の樹木の葉と協調している。いきとどいた剪定と清掃で足元がすっきりとしている。方丈前庭は白砂で緑を際立たせ、白砂庭をみずみずしく見せ、緑の上の青空を深く見せ、当寺の清々しさを引き立てている。五本筋が入った築地塀に近い苔面上に比較的大きな石を置き、立て、軽快な近代日本庭園として見せることを強調している。しかし方丈の真正面に霊峰金剛山が位置し、金剛山頂の聖域に宿る日本古来の神々を受け入れるように建てられた方丈の前庭であり、金剛山をイメージさせる法堂が目前にそびえているので遥拝庭園であることから逃げられない。白砂面の広さは方丈の大きさに比べ小さいので、方丈とセットになった法堂を借景とする、遥拝庭園であったことが一目で判る。現在も築地塀外側の松、法堂、空を借景とし、遥拝先の金剛山の霊気を白砂面に反射させ方丈内に取り込み続けている。よって軽快な近代日本庭園鑑賞と遥拝、二つの目的を持った庭になっている。目的が二つあるせいか、白砂面が雲のように見えるせいか、鑑賞していると体が宙に浮くような気にさせられる。不思議な力を持った庭となっている。大雄苑西側も白砂で海か雲海が表現され、苔面で島が表現されている。西日を避けるため樹木を大木に育てている。まるで緑の壁庭のようでもある。大雄苑を見渡していると開かれた禅寺を表現し、来客者を温かく包みこむ庭だと思えて来た。歓楽街に近いせいもあるが、爽やかな風に乗って気楽に来訪してもらい、庭が引き立てる爽やかな天空の変化を楽ませ、白砂面にて雲の上にいるような気にさせ、軽やかで爽やかな気持ちで去ってもらう。この清涼感、軽快感は現代風の軽い庭、禅の美しさ、日本古来の神々を受け入れる遥拝との共鳴によるものだろう。世界中の人々に気楽に来訪してもらう開かれた方丈と法堂となっている。