方丈・庫裏・書院は西に京都府大覚寺心経宝塔を、東に静岡県可睡斎本殿を遥拝している。両聖地を結ぶ佛の通り道は雙ヶ岡-壽聖院庫裏-妙心寺金牛院方丈、智勝院、蟠桃院、桂春院-京都仙洞御所敷地-滋賀県微妙寺を通過する。南には高野山石田三成公墓所を遥拝している。遥拝線上には妙心寺霊雲院、聖澤院、天授院、退蔵院、慈雲院-杜村今宮神社-男山-大阪府三寳荒神-一須賀古墳群がある。特別拝観にて石田三成一族9人の供養塔を拝み、石田家について学んだ。関ケ原の戦いに続く佐和山城の戦いで妻、父、兄、兄の嫡男は自害したが、関ケ原の戦い直後、当寺に入り僧となった三成長男、重家の男系子孫は現在に繋がっている。三成次男、重成は姓を杉山と替え、子孫は弘前藩の家老として存続し、現代に繋がっている。三成の三人の娘は厚遇され、恵まれた結婚、子孫繁栄を果たしている。雙ヶ岡二の丘から関ケ原の戦いの石田三成陣地跡を遥拝した場合、遥拝線下にどのような寺社、旧跡があるのかグーグル地図で調べてみた。遥拝線は妙心寺大法院、徳雲院-当地、壽聖院正門・庭園-妙心寺金牛院庫裏、隣華院方丈、光国院-堀河天皇火葬塚-北野天満宮鎮守の森-大幸寺境内-今宮神社御旅所境内-新宮神社-比叡山浄泉院跡付近-彦根市光淵寺-彦根城天秤櫓付近-佐和山城麓で彦根藩主井伊家墓所がある清凉寺本堂-龍潭寺境内-今福寺跡付近を通過した。関ケ原の戦いで犠牲となった石田三成一家を供養するため、この遥拝線下に壽聖院の正門・庭園を設け、方丈を高野山石田三成公墓所に向け三成を供養し続けることができるようにしたことが読めた。本記事の趣旨とは異なるが同じ日に特別拝観した妙心寺玉鳳院では武田信玄、勝頼、信勝、信豊そして織田信長、信忠の供養塔を一列に並べ、これら供養塔だけを単独で祀っていた。この供養塔は武田家の滅亡が武田信玄、勝頼親子と織田信長、信忠親子による共同作戦だったように見える。徳川家康の師であった太原雪斎の行動は武田信玄の指示に従っていたように感じるので、戦国時代の闇の歴史を解く一つの鍵は足利将軍と関係深い京都五山に属さない妙心寺派、大徳寺派の寺に残された歴史遺産に有ると思った。壽聖院HPに「本堂の前に広がる庭園は絵師狩野永徳が設計したもので、その景観は桃山時代より変わっておりません。庭園にある瓢箪池は三成公の指示により、主君の豊臣秀吉公の戦勝の瓢箪印をモチーフに造られています。」と紹介されている。狩野永徳(1543~1590年)は退蔵院元信の庭を築庭した狩野元信の孫だからか、同じように華やかな色の石を使っている。年代と遥拝線から見ると関ケ原の戦いの後に作られた庭となる。日陰者扱いの石田三成一族を祀る寺院らしく妙心寺の塔頭群に囲まれ、借景山を持たない庭がある。築山の裾端、樹木の中にひっそりと斜めに立つ小さな五輪塔が庭中心石で、石田三成一族の姿に重ねている。豊臣秀吉を連想させる瓢箪池、猿を彫ったような石もある。手前の石々は華やかな色で、方丈から庭を見て右側に名前が特定できにくいモッコクのような古木の下に美しい石がある。神の着座石のような座禅石はあるが神の権現石は無く、大きな石々を庭土が付かないよう軽く置いた風にしている。この庭に神佛は宿らせず、歴史の犠牲者となった石田三成一族を宿らせるといった表現だ。庭石が華やかなこと、春のサツキ、初夏のクチナシ、夏のサルスベリ、秋のサザンカ、冬のツワブキを配していることから年中花があることを感じさせ、庭正面にハギのような常緑の低木樹木があり自然風な築山風情を見せ、そこに美しい庭石をさりげなく散りばめ絵物語のようにすることで、豊かな桃山時代を感じさせ、石田三成、豊臣秀吉を偲ばせるようにしている。天空の下に築山があり、築山にはマツ、マンリョー、玉散らしのイヌマキ、築山の向こうにはサルスベリがある。全体的にマツ、イヌマキが多い。庭の奥、築地塀の傍には古木なので良く判らないがスダジイやアラカシのような山の木があり、それを小さく育て山中の雰囲気を出している。築山の多くの樹木が風を感じさせる。樹木や築山を高く見せるために掘り込んだ瓢箪池。その枯山水の瓢箪池に風が良く通っているようにも見せている。庭に水の流れは無いが、井戸の傍にはモッコクがあり、井戸が地下水とつながっていることから、庭下に大きな水の流れ、地下に川があることを暗示している。この風景構成は易経「42風雷益(ふうらいえき)益する道」が当てはまると思う。石田三成夫妻、父、兄とその息子は関ケ原の戦いに起因し自害、石田家は大損したが、損益は表裏一体、石田一族の大損によって天下統一が実現し、日本に平和な時代が訪れ、日本国民皆が大益を得ることができた。築山の裾に隠れるように置かれた五輪塔をちらりと見せ、大損を被った石田家一族に思いを馳せさせ、美しい庭石を散りばめた豊かな風情で日本国民が大益を得たことを表現している。どこまでも石田三成を賛美する庭だと思う。