好古園 双樹庵

茶室は(静岡)久能山東照宮方向に向き、その方角に裏千家前家元15代作の庭があるので、庭を通して久能山東照宮を遥拝する趣旨となっている。この遥拝線は、姫路城ワの楼付近、(八幡市)男山の神應寺境内、(宇治市)興聖寺参道入り口付近、(浜松市)秋葉山本宮秋葉神社の境内南端を通過するので、茶室は姫路城二ノ丸、神應寺、興聖寺、秋葉山本宮秋葉神社を同時遥拝している。さて恵まれた遥拝先を持つ格式高い京都寺院の方丈では庭に白砂を敷き、天空を白砂に反射させ、遥拝先の聖気を方丈内に取り込むことが多いが、大徳寺の各庭園を思い返すと三千家歴代の墓所がある聚光院では他の多くの大徳寺塔頭と異なり白砂を敷いていなかった。伝統的な露地も雪隠以外に白砂は敷いていない。その伝統なのか、この庭も白砂を敷いていない。大徳寺伽藍、多くの大徳寺塔頭は熊野那智大社本殿を遥拝し白砂にて熊野那智大社の聖気を方丈内に取り込んでいるが、聚光院は平城京第一次大極殿、二条城二の丸御殿白書院、黒書院を遥拝し、庭は地表平面を苔面とし、苔面を集中して見せるため白壁の築地塀ではなく大刈込で苔面を囲い、大刈込に沿って比較的小さな擬人化された石を苔面上に並べ置き、小さな石々が方丈内の襖絵や方丈内の様子を見つめているようにしている。大刈り込みの上は大徳寺境内のアカマツ群が借景となっている。千利休の庭らしく石は小さかった。余談だが大徳寺の多くの塔頭は明治時代に場所替えされているので以前の庭に白砂を敷いていたかどうか不明である。明治以前、白砂を敷ける格式はなく、場所替えされなかった聚光院、高桐院、孤篷庵の庭と同じく苔面或いは地面だったのかも知れない。姫路城には多くの神の通り道があり、城は神々に守られている。この庭は姫路城内にあるので、上空を通過する神々の降臨を誘う意味なのか、遥拝先の神々を招き入れる意味なのか、芝面には上面が平らな神の着座石が七個置かれている。神の着座石に座った神が茶室内を見守っている形になっている。聚光院の方丈前庭園と同じく枯山水の山、瀧、池を配さず、白壁前にシラカシのような樹木を植栽し、白壁に天空の色を反射させないようにしている。違いは地表面を地ではなく丘陵状の山として見せ、芝で覆い、規律ある区割りの中に川の流れのように見せた砂利道を設け、砂利道にて囲んだ枯島にクロマツを植え、築地塀の前一列にアカマツを曲げず素直に伸ばし育てていること。茶室の北側には、石灯籠、蹲踞、腰掛待合を配した伝統的な露地があり、内外露地を分ける竹製四ツ目垣、竹製のひし形目の簡易中門がある。モッコク、アカマツ、カエデ、アオキ、ツバキなど伝統庭木が植樹されている。茶室東の縁側には大きな沓脱石が二つ置かれ、飛び石は腰掛待合経由内露地へと続いている。京都で見る伝統的な露地との違いは空が広く明るいこと。明るいことで苔面が鮮やかで垢抜けしている。茶室は本格的な木造建築で、庭にセメントを使っていない。北側の庭壁は茶色で、東側の白壁前には樹木が配され、築地塀の扉を見せているので、庭が築地塀の外と仕切られているといった圧迫感がない。築地塀の上に樹木群、姫路城の櫓、空が借景となっている。大きな沓脱石、神の着座石、飛び石の頭は平らで、石灯籠が多用されておらず共に小さく威圧感なく、足元にササ、シダなどを配し、芝面と苔面の境目をシャープに区切っている。素直に伸びるマツを見ていると、規律ある庭の中において素直に伸びさせるが、突出した個性は発揮させないといった意思を感じる。まるで現代社会を凝縮しているような、現代に生きるすべを鑑賞者に示しているような感じもするが、そのような意図だけではない、聚光院の庭と同じく遥拝意図だけでない、茶道修業の意味が込められている庭ではないかと思った。白壁が樹木にて隠されているので、庭の築山、借景の樹木、城壁を合わせて山と見れば、茶室から天と山を見せる庭となり易経「33天山遯(てんざんとん)隠退隠遁の道」を表現していることになる。山は天と接するように見えるが、山に登れば天は離れて行く。天も山も自尊心が強く我が道を進む者同士なので、山が進めば天は退くしかない。そのように庭は上司と部下、師匠と弟子の関係を見せ、両者間で争いが起きた場合に、両者を結びつけるための茶道の役割、中に入る亭主がいかにして両者を結び付けるかを考えさせる庭にしているように見える。易経で見れば、目上(上司や師)と、目下(部下や弟子)の間で争いが起きた場合、茶室で亭主が両者を結びつける方法として次の4つが考えられる。亭主が目上の側に立ち「1乾為天」のように健全な振る舞い、圧倒的権威、深く広い知恵で茶会を進行させ、目下を目上に従わせ両者の関係を「44天風姤(てんぷうこう)」のように目下の者に柔軟な対応をさせ、目上の指示に従わせて解決する方法があるが、この方法で解決しても目下はすぐに実力を蓄え「33天山遯」の関係へと戻ってしまう。再び茶会を催し同じ方法で両者を結びつけても堂々巡りとなってしまう。この方法を繰り返すと両者は男女のいがみ合いのような関係となってしまい、修復がより難しくなる。亭主が目上の側に立ちサビの精神で、時が経てば物質の表面に錆が生じ、その本質が見えてくる自然摂理を見せながら「25天雷无妄」のように目上の発言の正しさ、とかく目下の者は目上の指示や説明に反論したくなる自然摂理を説き、「6天水訟(てんすいしょう)」のように上下関係にある者同士が相反する方向に進むことは自然道理だが、両者が争うことに意味は無く弊害の方が多い。降り出した雨を止めるすべがないように一つの目的に向かって進むべきことを説き、目下の者が大道を進むべきことを認識するまで茶会を繰り返えし解決する方法がある。亭主が中道の立場で「27山雷頣」の象のように両者の説明を良く噛みくだき、両者の説明を正しくまとめるが、言語はできるだけ慎み、節度を保ち、現状が「59風水渙(ふうすいかん)」風が水の上を行くような、これまで強固な関係にあったのに散乱しようとして行く状態になったことを浮かび上がらせ、目上に目下の心をひきつけさせて解決する方法がある。亭主が目下側もしくは中道の立場で「26山天大畜(さんてんたいちく)」の象のように、至誠、真心にて目上の者を教え育てる、育て成長させる言動、行為を行うことで「57巽為風(そんいふう)」のように目上と目下の両者で、正しいこと、大道を見つけ解決を図る方法がある。導き出された解決策にて両者が親和するように見えるが、往々にして双方共に大きな譲歩があり、目上の者に教育された思いが残り、双方共にその解決策が心底受け入れられないことが多い。双方共に大きな道に従うこと、大きな道を歩み始めることが肝要となるので亭主は引き続き両者を応援する必要がある。以上4つの解決方法を見ると、血なまぐさい戦国武将達の勢力争い会議を、規律正しい作法を加えた茶道の茶会とすることで、会議から流血を無くし、無駄な戦闘を避けさせ戦国時代を終了させた千利休の力に敬服せざるを得ない。一見スマートな現代庭に見えるが、天と山を単純に見せることで茶道の役割を考えさせる奥の深い庭であった。聚光院方丈での修行者は小さな石で表現された多くの人に見つめられ続けている。更に妙心寺大方丈前庭と同じく苔面を地と見せ、天と地を見せている。天と地の関係は天と山との関係よりも結びつけることは難しい。容易に合体できない天と地を見せ、厳しい修行を求める緊張感あふれた聚光院庭に対し、こちらは神々に見守られながら茶道について考えさせる庭となっている。広い空が解放感を、太陽光を受けた芝面が温もりを感じさせ居心地良い。