「29坎为水」坎卦
木津川流れ橋と呼ばれる上津屋橋の欄干が無い橋げたから水の流れを眺めていると、危険な水ばかりの流れの中に吸い込まれそうで圧倒される。水また水、坎が重なった風景のせいなのか、見続けていると体が水の中に溶け込み、自分自身が無くなって行くような気がしてくる。流れに乗るとは自分が守っているものを失うことかも知れない。
水は蒸発すると雲になり偏西風に乗って旅に出る。やがて雲は雨水になり、山や地で地下水となり、長い期間を山で過ごした後、山裾などから湧き出て澤水となり海へと向かう。海面は風に吹かれ波が立つ。少し深い所には危険な海流があり、海流に乗った水は世界を旅する。更に水は下へ下へと流れ海溝の底を最終目的地として下り続ける。海溝底まで到着した水滴は水の世界の大成功者だが、そこには巨大な水圧があり、光が届かないので静かだ。巨大水圧に押さえ込まれた水滴は長期間そこに止まる。水は地球で最も深い海溝を最終目的地とし、下へ下へと進み続けるが、下へ向かう流れを阻止するものには柔軟に対応し、目標、目的を失うことなく、ひたすら目的地を目指し下り続ける。
人を水滴に例え、坎卦の各爻の位置から水世界を見ると、天空にいる水滴は水の初心者。にもかかわらず水世界の最高位にいる。次に水滴は危険のない安全な山などに潜り込み地下水となり、そこで長期滞在し熟成される。この熟成期間の位置は水世界の中心位置。次に湧き出た水滴は多くの危険と罠がひそむ澤水となり、水滴達は本流に乗ることを目指し幾多の危険を乗り越え、苦闘の後、本流に乗り海に向かう。本流の中心にて周囲の大衆のような水滴を引き連れ流れを作る水滴は師にあたる。海上、海中、海底の水滴は河川の本流に乗り海に至った成功者達であるが、坎卦では海は大衆の位置にあたる。このように水世界では初心者が最高位におり、艱難辛苦を乗り越え最終目的地に到達した百戦錬磨の達人が最下位にいて水世界の重圧に耐え続けている。水世界では最終目的地に到達した水滴が世間とは逆の最下位にいる。
海溝の底に至った水滴が大先輩で大成功者なので、本来は水世界のトップ位置の空中にいるべきなのに、大成功者の水滴は最下位の海溝底にいて、巨大な重力を受け身動きが取れなくなっている。海中の大きな海流に身を任せ、海溝を目指す水滴は企業人なら社長職のはずだが、爻の位置はベテラン社員の位置だ。海面とその付近にて泳ぐ水滴は役員であるべきだが、その位置は部課長の位置だ。河川で危険を避け本流に乗る水滴は部課長なのに、そこは役員の位置だ。地下水になり企業に守られ熟成されている水滴はベテラン社員のはずだが、そこは社長の位置だ。いつになれば企業の管理職になれるのか判らない比較的、気楽に過ごしている一般社員がいるのは会長の座る位置だ。水の世界では功労と地位とが逆になっている。実力世界とは、水世界のように名誉、地位と実際の仕事内容と働きは世間の常識や評価と逆なのかも知れない。
人生は水滴の流れと同じで、先ずは空に漂うような気楽な子供時代から始まり、社会から守られ熟成される学生時代を経て、本流に乗るためバリバリと仕事をこなし、本流に乗り発展する時代を過ごし、社会的責任を負わされる立場に至り、最後に大きな重圧を背負う立場に至る。知識、智恵、経験を積み重ね、幾多の困難、難関を突破し最終地点に至った大成功者が世界中すべての重圧を受け止めているということなのだろう。
この流れを逆に観ると、下へ下へと向かう水の流れに逆らい、上へ上へと昇る水滴が成功者だとも観られる。海溝底にて上からの重圧を受け続けている水滴が一般社員、海流に乗り世界を旅している水滴がベテラン社員、海面近くで多くの魚や海草を育て波立てる水滴が部課長、澤水を海に向けて流し本流を作る水滴が役員、山の中で地下水となり作戦を練っている水滴が社長、水蒸気になり下へ下へと向かう水世界から切り離され、下に向かう技が使えず、雲となり浮かび続ける水滴は現場から切り離され、束縛され、身動きが取りにくい会長職というようにも見える。いずれにしろ会長職は世間から見放されたような辛い立場にある。
海溝底水は水圧で押さえ込まれている。海水中の水は地球の自転による偏西風、海水温差の影響で作られた海流に乗せられている。海水面の水は暴風雨、地震、太陽と月の引力で作られた大波に揉まれている。河川の澤底は凹凸が多く危険に満ちている。地下水は地滑りを起しやすい。雲は偏西風に乗り幾多の山を越えて旅をする。このように常に水は危険にさらされ続けている。水滴ができる危険回避策は泳ぐ能力を向上させることのみ。
河川の流れを人生に例えると、歩む道は凹凸だらけ、あちこちに罠があり、落とし穴があり、艱難辛苦の連続、うまく泳ぎ危険回避することで落とし穴に落ちないようにし、罠にかからないようにして水流に乗り続け、大海に至り最終目的地の海溝底に至る。海溝底まで到達できる成功者は少数で、多くの水滴はなかなか本流に乗れず苦しんでいる。もし流れの無い溜め池に紛れ込むと腐ってしまう。このように水の世界、つまり人間世界は危険にあふれている。
例えば水が落とし穴に落ちたように突然、両親を失い孤児となった者、大切な人を失った人、離婚されシングルマザーとなった困窮者、解雇された人、自己破産した人、大病を患った人、交通事故に遭遇した人など、急に目の前が真っ暗になるような境遇に落ちた場合、すぐ十分な対策をとらずに、問題を抱え込んでしまうと、人の潜在意識の中で不安が膨らみ続け、やがては自らの運命を嘆き、その境遇を恨み、誰かを恨み、ついには自己否定に陥ってしまう。問題から逃げ、安易に運命を受け容れて、悲しみにふけり嘆き続けると性格が曲がってしまう。
よって落とし穴に落ちたら、すぐさま十分な対策を取らなければならない。先ずは自らが向かうべき先、目的地、目標とすべきことを見直し、新たな目的地、目標を作りそれに向かい前進開始しなければならない。自分が陥った運命と内容を整理し、やらなければならないことを整理し、対策行動を取らなければならない。落とし穴に落ちたことは人生経験を得るチャンスが到来したと捉え、全力を挙げて落とし穴からの脱出を図らなければならない。落とし穴から脱出できれば誰もが行っている小さな水の流れに乗り、次いで世間の本流に乗るべく奮闘することになる。
坎卦が訴える落とし穴からの脱出方法は、落とし穴を観察し、水の流れ、世間の流れを観察し、繰り返し、繰り返し脱出に挑戦して泳ぐ方法を学習し、脱出技能を身に付けること。自分に対し正直で誠実な真心を持ち、自分を見つめ、自分と対話して、正常な心を育てること、そして真に自分にとって必要なことは何なのかを導き出すこと。
自らの努力で育成した正しい心を維持し続け、真に自らに必要なことを行い続け、身に付けた泳ぐ能力を発揮することで、問題が解決できると教える。人生の先に待ち受けている落とし穴や罠は一つではない。次から次へと異なる困難が訪れて来る。その都度、それぞれの危険や困難の本質を学び、正常な心で、困難から脱却し、世間の流れに戻らなければならない。この繰り返し、繰り返しの学習にて智恵が膨らみ、知識が増える。
もし薬物、ギャンブル、性依存症の人が落とし穴から這い出る過程で、自己利益のため、快楽享受のために自らに対する真心を失い、対策にばかりに目を向けてしまうと解決は遠のく。人は自分の心と対話することを嫌い、自分の本質を見つけることから逃げ、安易な快楽享受、安易な解決策を求める性質がある。
自らと向き合うことを避け続けると、依存症の渦に巻き込まれ続けることになる。その結果、いつまでたっても世間の本流に戻れず、依存の場に滞在し続けることになる。
問題を抱えた人で要領の良く振舞う人がいる。問題を抱えているのに、表面的には普通の健全な人と同じように振舞い続け、問題解決から逃げ続けている。
本人はうまく立ち回っているつもりでいても、潜在意識の中で問題が膨らみ続け、時折、潜在意識の中から飛び出す悲鳴のような声に自身が振り回され、情緒不安に悩み続け、周囲の人に迷惑をかけ続ける。隠れた心の疾患者は世間の本流には戻れない。
宗教は自らと向き合い、正しい心の育成を行うためのものだが、現代の宗教法人で信者に自らと向き合わせ、正しい心を育成させる方法を教えるところが少ないようで、依存症者、隠れた心の疾患者、或いは異常な宗教依存者の増加を許している。
人間は水滴のように、泳ぎ続け、流れに乗らなければならない運命を背負わされている。幾多の苦難、危険を乗り越え泳ぎ上手になると共に、世間の本流を見つけ出し、本流に乗らなければならない。
しかし本流の流れは速く、一度、本流に乗ってしまうと、流れに身をまかせ目的地に向かわざるを得なくなる。早い水流はそれを感じさせる。