熊野本宮大社に祈りを捧げるための庭
当別邸は下鴨神社の南に隣接していた。現在は京都家庭裁判所で遮られているが、糺の森(ただすのもり)の中にあり、当別邸前の鳥居が下鴨神社の参道入口となっている。この参道に沿って南に線を伸ばすと金剛山山頂と葛木神社に到る。更にこの線は武烈天皇傍丘磐坏丘北陵、そして當麻山口神社と春日若宮神社の間を通過する。この参道に沿って北に線を伸ばすと、下鴨神社橋殿と御手洗社との間をすり抜け、(若狭)天徳寺境内奥の瓜割の滝付近に到達する。瓜割の滝は朝廷の雨乞いを司る祈祷所だったと伝わる。ムクノキ、エノキ、ケヤキ、クスノキ、スダジイなどの大木による糺の森のど真ん中を貫く下鴨神社表参道(さざれ石及び南口鳥居付近から南に直線に伸びる部分)に沿って南に線を伸ばすと巣山古墳に到達する。線を北に伸ばすと下鴨神社の相生社を通り本殿建屋群に到達する。下鴨神社の建屋は皆、南に巣山古墳を東に岡崎城に向いている。表参道西側の直線道を南に伸ばすと鳥屋ミサンザイ古墳、桝山古墳に到達する。参道が神の通り道となっているためか、参道脇に置かれたさざれ石が今にも動き出しそうに見えた。余談になるが、上賀茂神社の一の鳥居と二の鳥居とを結ぶ直線参道も巣山古墳に向かって伸びている。その直線参道西側の直線道は宝来山古墳(垂仁天皇陵)に向かって伸びている。南方向へ長く伸びる参道を持つ京都の寺社は河内源氏の聖地「石清水八幡宮」「白鳥陵」「生駒山」「金剛山」「金剛三昧院」「熊野本宮大社大斎原」方向に伸びているものが大半であるが、上賀茂神社、下鴨神社は他の京都寺社参道と異なり、巣山古墳を指し示しているので他寺社とは異なる祈りの役割を担っているのだろう。下鴨神社の西参道は出雲大社に向かっていた。当別邸門前の少し南から、鴨川と高野川の合流地点まで邸宅の外壁に沿った直線道を伸ばすと和歌山県、丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)に到達した。鴨川は賀茂大橋から四条通りの橋まで略直線となっているが、主屋三階の望楼の中心と熊野本宮大社大斎原とを線で結ぶと、その線は鴨川の直線部の左岸に沿っている。その線は三十三間堂境内、伏見稲荷大社境内、新沢千塚古墳群、御神体となっている栃原岳頂上にある波比売神社本殿を通過する。線の両側には多数の小さな寺社がある。望楼の中心と韓国、桐華寺とを線で結ぶと、その線は相国寺書院、裏千家今日庵のすぐ北、金閣寺境内を通過する。その線を反対の東に伸ばすと銀閣寺書院に到る。主屋は北に(若狭)明通寺を、西に竜安寺を遥拝している。このような華麗な遥拝線の中に主屋がある。京都家庭裁判所には顕名霊社があった。1909年(明治42年)三井家の祖霊社の顕名霊社(あきなれいしゃ)がそこに遷座された。顕名霊社の南に伸びる参道は、当別邸前の上述の参道に略平行していたので、顕名霊社の参道は武烈天皇傍丘磐坏丘北陵、南陵の顕宗天皇陵に伸びていたのだろう。顕名霊社の背後には下鴨神社境内の三井社が控えている。これらのことから当別邸は下鴨神社の一部となるように作られたと推測した。庭のムクノキ、エノキが落葉する季節には主屋3階望楼から真っ直ぐ南に流れる鴨川を望むことができ、熊野本宮大社大斎原を正確に遥拝できるので、望楼は熊野本宮大社遥拝所だ。そして比叡山など多くの名所を拝することができる。華麗な遥拝線が通過する主屋に隣接する気品ある茶室は城南宮を遥拝する方向に建てられている。井戸から汲みあげられた水で作られた抹茶は体に沁み込むことだろう。単純構成の庭なので、主屋2階及び3階望楼から見える景色を借景とした庭だと思う。主屋1階から見ると多数のムクノキ、エノキ、イチョウの大木で囲まれているので糺の森の中にいて、森をポッカリと開けたようなところに庭があると感じる。コケ面,その先にひょうたん池、更に先に築山がある。芝面の築山には巨大な鞍馬石と石灯籠が置かれ、鞍馬石に被せるようにマツ、カヤが植えられている。鞍馬石は熊野本宮大社を意識させる目的で置いたのだろう。鞍馬石に向かって右にも大きな石が一つ置かれている。池の中央に平面の石が置かれ島に見せている。その平面上にはコケが育っている。主屋前面のコケ面上に並べられた飛び石もおおむね平面で、その中には大きな基礎石も置かれている。それら平面の飛び石や池の中央の平面石が築山の鞍馬石に向かって礼拝しているようなので、この庭は熊野本宮大社へ祈りを捧げるための庭と読み取れる。泉川からのポンプで汲みあげた水が曲水を通し池に流れ込んでいる。鯉は見かけなかった。池と曲水には洗練された形の石橋が架けられている。池の南側にはアカマツ、モッコク、カエデ、アオキ、ヤブツバキなどが植えられている。池の西側の畔にはサルスベリ、イトヒバが植えられている。池の西側から池を望むとアーチ型の石橋、その先の曲水に掛かる石橋、池の底の藻によるエメラルドグリーン色の池が、心を曲水の水源に惹きつけるように見せる。池護岸石の石組み、石灯籠に気品がある。石の色もカラフルで綺麗だし、石が自然に置かれているので伸び伸びとしている。富の象徴である水を貯める池を小さく作り、新鮮な水を流し続けているので気品が漂っている。神が宿る地に作られた三井家下鴨別邸、そこに流れる綺麗な水を見ていると、よどむことのない透明性の高い商売こそが永遠に続く商売のような気がしてくる。