密教を持ち帰る空海が見た風景
東山の山裾を利用して作られた庭は大書院から座って鑑賞するようになっている。築山の護岸石や築山近くの池の中の石は前傾で築山が池に迫り出すように見せている。大書院の縁側の下に池が入り込んでいるので、築山全体が大書院に迫って来る。築山上に置かれたほとんどの石は先端を天に向けている。築山の頂点には石塔が据えられ、築山のエネルギーはすべてその頂点へそして天へと向かっている。赤いツツジの花が咲くと、護摩壇に火を点じた風景に見えなくもない。東山に沿って吹く風は築山上の林で受け止められ、すがすがしい音楽を奏でている。そして瀧音、鳥の歌声を聞きながら、目線は築山全体を駆け巡る。書院の上段の間から庭を介し来客者を一瞬見せる。主人と来客者が目線を合せ面談するまで、間がとれるよう配慮がされている。宸殿からも来客者を窺うことができる。大書院廊下に沿うよう石手水鉢が設置され綺麗な水が満たされている。庭園に溶け込む大書院から庭を見ながら手を洗えば心が洗われることだろう。綺麗な心を保たせる石手水鉢は庭に面する部屋のどこからも見える。上段の間に座る主人と来客者との目線の間に石手水鉢を配置したことも心を洗って来客者と接することを促させるためだろう。驚いたのが女性器と男性器を模した石組みが築山の一番良い場所にあること。池際に三角の真っ直ぐな石を立て硬直している様子を見せ、その傍ら一条の瀧水を池に落とす柔らかい形の石で女性を表現している。瀧上流の石は明るく、更に上流には石橋が架かり、水源は暗くしている。水源の奥には大師堂がある。空海を祀る大師堂から絶えることのない水が流れ出て池に一条の瀧となって落ち、池となった水は太い川を通って下流へと流れ出るドラマが画かれている。そのドラマを探るためにグーグルマップを開き遥拝先を調べてみた。すると金堂と参道、明王殿、鐘楼、宝物館、大書院は空海が修行した中国西安(長安)青龍寺を指し示していた。大書院に座り東側の庭を見ることは背後に青龍寺がピッタリと控えていることになる。そして庭の奥には大師堂がある。青龍寺の恵果和尚から密教を学んだ空海が、長安(西安)から川や運河を伝って下り、越州(浙江省)に到り、瀧水が東シナ海に飛び込むように、空海は海に入り現在地まで密教を伝えた様子を画き、築山を中国の廬山を模し空海が見た風景としている。大書院背後の情景を鏡に映したが如く庭に空海の故事を画いている。男女性器を画くことで原始宗教と掛け合わせ、生命力を表現し、密教の永続性を表現したのだろう。庭池は北からも川を通して水が流れ込み、南の大きな川にて流れ出すようになっている。その意味を探るため再びグーグルマップを開き遥拝先を調べてみた。すると法務所、講堂、講堂東側の宸殿、密厳堂、金堂、明王殿、鐘楼、宝物館、大書院は、南に巣山古墳を遥拝していた。金堂と巣山古墳とを線で結ぶとその線は東福寺境内、伏見稲荷境内、桓武天皇柏原陵の森の一部、大塚山古墳、馬見古墳群内を通過する。この線を逆に北上させると八坂神社西楼門に到達した。つまりは八坂神社から流れ出た水が、当寺で滞留した後、東福寺境内、伏見稲荷境内、桓武天皇柏原陵の森の一部、大塚山古墳、馬見古墳群内を通り巣山古墳に到るドラマを画いたことが判った。青龍寺、巣山古墳以外の方向に向く建屋、僧坊は浜松城天守閣にピッタリと向いていた。大師堂とその参道は南河内郡の高貴寺(弘仁年間、空海が高貴徳王菩薩の示現を見て高貴寺と改称した)に向いていた。大師堂と高貴寺とを線で結ぶとその線は東福寺普門院、経蔵、禅堂、そして伏見稲荷大社大鳥居を通過した。大師堂は西西北の出雲大社も遥拝していた。大書院の北側から西側にかけて廊下に沿って中庭が設けられている。行きかう渡り廊下から北側の日本家屋の構造美が楽しめる。白砂が廊下を明るくしている。青龍寺が発した光を受け止める意なのだろう。講堂南側の樹木の下の平坦な地に苔を植え東山に続いているように見せ、石碑と灯籠以外に石を置かず東側に静寂な聖地、大師堂の境内があることを意識させるようになっている。講堂南西側にまばらに石を置き、講堂西側に石を多用している。講堂正面廊下を東から西に向かって歩くと西に近づくほど樹木が少なくなり明るくなり、庭石が多くなり、街に近づいていることを感じさせ、緊張感が高まるようになっている。廊下を曲がり北に向かって歩くと廊下に隣接する一文字型石手水鉢に行きつく。一文字型石手水鉢の近くに色の違う5個の石が上品に置かれている。心に如来が浸み込むような石組みだ。大書院庭園は1674年(延宝2年)頃に完成したと推定されている。岡山藩閑谷学校が完成したと同じ時期なので、閑谷学校と同様に易経の象意を庭に吹き込んだと思える。築山を庭の中心に据え、池(澤・水)の上に築山(山)を見せ、山を中心とした庭とし、池を大書院の廊下の下に潜らせ池の手前を見せないことで、山の上下に天、澤、火(太陽・月)、雷、風、水、山、地などの卦を組み合わせ易経の象意を見せる庭としている。山を上卦とした庭については金刀比羅宮表書院庭園で述べたような自己修養の象意が多い。山を下卦とした庭については瑠璃光院で述べたような人の生きるべき姿の象意が多い。この庭に落ち着きあり、生命力みなぎっているのは築山を庭の中心に据えたからだ。そして空海が青龍寺で学んだ密教を伝えた故事を画き、空海の教えが一条の瀧水となって大海に流れ落ち続けている様子を画いている。講堂西側の庭には5色の石で、佛教の世界を画いていた。講堂には5色の布が垂れ下げられている。そのような演出も加わり、庭は易経思想の上に空海の足跡を加えた宗教庭園となっている。浜松市長楽寺の庭は小堀遠州作だが、近代、当寺の庭を真似て築山頂上に石塔を据え、サツキの代りにドウダンツツジを植え、宗教色の強い庭に作り替えたと連想した。影響力の大きい庭だ。