東福寺 天得院

東福寺伽藍は南に巨勢山古墳群を、西に釜山鎮城・東莱倭城・草梁倭館跡を遥拝している。当院の書院(方丈)も同じく南に巨勢山古墳群を、西に釜山鎮城を遥拝している。多くの神佛の通り道が交叉する東福寺境内なので、桃山時代に作庭されたと伝わる苔庭には神の着座石、神の権現石が置かれ、神聖で雅な雰囲気が漂っている。書院(方丈)の南側から西側に細長い苔庭があり、京都市内と京都西側の山々を借景にしている。苔面、京都市内、借景山を眺め、苔面上に咲くキキョウ、ツワブキの花を楽しみ、庭木を楽しむ単純な庭だ。築地塀は真っ白ではなく淡い黄色で、苔の地面と一体感がある。過去には東福寺芬陀院と同じく伏見稲荷大社、稲荷山、奈良の山を借景としたスケールの大きな庭だったことだろう。日々の暮らしを続ける京都市民は仕事や日常生活を繰り返すだけで何の変化も無いように思うが、雷が響き、雨が降り、風が吹けば変化が生じる。気が付けば庭に冬のツワブキが咲き、クロガネモチが赤い実を付け、カエデとドウダンツツジの紅葉が終わろうとしている。雅な世界の中でゆったりと暮らしていても気が付けば時代が大きく変わり、自らも含め人の意識までダイナミックに変化している。しかし生活は京都の変わらない雅な伝統の中にある。京都の庭は何かを気付かせてくれる。神佛が見守る中にあるからだろう。