天龍寺法堂は(静岡)久能山東照宮を遥拝している。大方丈と久能山東照宮を結ぶ神佛の通り道は(天龍寺)法堂・勅使門-長慶天皇嵯峨東陵-鹿王院-広隆寺霊宝殿-(二条城)清流園-禅林寺(永観堂)-(滋賀)圓満院宸殿-五百井神社奥宮山王社-(浜松)秋葉山本宮秋葉神社上社(本殿)を通過し、天龍寺はこれら寺社と二条城を同時遥拝している。庭はこの神佛の通り道(遥拝線)に沿って作られ清々しい。背後に山を借景としない水源表現のない瀧水が、黒玉石を渚とする熊野川を模した川を通過した後、白玉石の渚を通過する。熊野川の黒玉石が熊野灘の黒い浜を形成しているように、黒玉石の渚川が白玉石の渚川になることなど自然界ではありえない。和楽庵の入口付近のキリシタン型灯籠が墓石のようで寒々しい。コーヒーを飲みながら庭鑑賞すると、和楽庵の周りが京都の田舎風景なのに、二条城本丸の石垣が借景になっている。田舎の農家の軒先に綺麗な城壁があるなど現実にはありえない。水車が回っているが水田は見当たらない。現実離れした庭風景だが、クスノキとクロマツの大木が共生しているので祈りの庭だ。要約すれば日本人の心の故郷風景を切り貼りした庭だ。庭は社会を映すので現代日本は共存がありえない物が共生しているということなのだろう。しかしながら庭そのものは日本庭園の基本どおり神佛の通り道(遥拝線)に沿い川を流し、その上に風が通るようになっている。日本で美しい庭を作るには日本の神佛と共存せざるを得ないということなのだろう。