大御堂観音寺

長方形の池を掘り、中央に長方形の中之島を設け、サイコロ状の護岸石にて固め、植栽しただけの極めてシンプルな庭だ。池護岸線と並行に建てられた大御堂など建屋、平行に伸びる参道、水田あぜ道が池と同期するよう設計されている。亀島風の中之島に築山なく平面で、平面上に石を置かず植栽しただけ。神楽(かぐら)の舞台を模した島だと思った。そこでグーグル地図にて神佛の通り道(遥拝線)を調べて見た。大御堂を含む建屋は北北西に清和天皇水尾山陵を、南南東に(奈良)長谷寺本堂を、東北東に(恵那山頂上付近)恵那神社奥宮を、西南西に(淡路島)伊弉諾神宮本殿を遥拝している。御本尊を拝むことは清和天皇を拝むことに通じている。清和天皇 水尾山陵と長谷寺本堂を結ぶ神佛の通り道(A線)は(京都)光仁天皇夫人贈太皇太后天高智之子姫尊大枝陵(桓武天皇御母御陵)-(当寺)大御堂-(奈良)境目谷古墳(應神天皇皇子大山守命那羅山墓)-念仏寺山古墳(開化天皇春日率川坂上陵)-開化天皇春日率川宮跡-延命地蔵尊を通過する。A線は池の西約10mを通過し、池はA線に平行に掘られている。更にこの神佛の通り道(A線)両側には多くの寺社、古墳が点在している。恵那神社奥宮と伊弉諾神宮本殿を結ぶ神の通り道(B線)は庭池の南約5mを通過、池はB線に平行に掘られている。A線とB線は大御堂の南約16mで交差している。交差角度が正直角ではないので本来の建屋、池は正直角に作られていなかったはずだ。近年再建された大本堂はどのような設計となったのだろうか。恵那神社の主祭神はイザナギ(伊弉諾)とイザナミ(伊邪那美)。天皇家の始祖イザナギ神が行き交うA線と、河内源氏の始祖、清和天皇が行き交うB線が当寺で交差していることに幕府寺社奉行が気づきA線、B線に平行な池を掘り、中之島を作り神佛の降臨祈願所としたと読んだ。