仁和寺

神々により清められている

888年(仁和4年)第1世、宇多法皇(宇多天皇)就任から、第30世、小松宮彰仁親王(1858年(安政5年)就任まで、「法助」(九条道家の子)、「法尊」(足利義満の子)以外、皇族が住職を務められた門跡寺だ。同じような歴史を持つ門跡寺、大覚寺が離宮から寺になったのは仁和寺(にんなじ)創建の12年前876年(貞観18年)、それぞれが真言宗系仏教宗派の総本山であり、応仁の乱で全焼したことなど共通点が多い。庭は共に皇族風に仕上げられているが、七代小川治兵衛が作庭、修景したせいか、明治政府の両寺に対する接し方の違いか、こちらの庭の方が大覚寺庭園より洗練されている。これだけ美しい庭なので、神の通り道が大覚寺より多いと思いグーグル地図で神の通り道を探した。伽藍が遥拝する北の宇多天皇大内山陵と南の双ケ丘にある二の丘山頂(標高102m)付近を結ぶと金堂、中門、二王門のそれぞれの中心を通過した。宇多天皇大内山陵と石清水八幡宮本殿中心を結ぶと宸殿の中心付近を通過した。宇多天皇大内山陵と法隆寺五重塔の中心を結ぶと当寺五重塔の中心を通過した。宇多天皇大内山陵と熊野本宮大社大斎原を結ぶと当寺五重塔中心-双ケ山の東端部分-法隆寺細殿-馬見古墳群を通過した。宇多天皇大内山陵と熊野那智大社本宮を結ぶと、当寺境内東側-法金剛院境内-畝傍山山頂付近(樫原神宮境内)を通過した。宇多天皇大内山陵と熊野速玉大社速玉宮を結ぶと、当寺東隣の蓮華寺を通過した。ちなみに (京都山科区) 勧修寺近く(醍醐天皇の母)宇多天皇女御胤子小野陵と宇多天皇大内山陵を結ぶと伏見稲荷大社の神域(稲荷山)-東福寺境内東北-渉成園内南西-龍安寺方丈を通過した。宇多天皇が幾度も訪問した高野山において、金剛峯寺奥殿、普賢院が宇多天皇大内山陵を遥拝していた。高野山円通律寺と(福井)若狭国一之宮若狭彦神社上社を結ぶと(高野山)恵光院、東根院、赤松院-長藪城跡-双ケ丘-(当寺)庭園、金剛堂-宇多天皇大内山陵がある山を通過した。出雲大社本殿と京都御所の小御所を結ぶと当寺金堂を通過した。出雲大社本殿と仙洞御所中心を結ぶと当寺白書院を通過した。(対馬)海神神社本殿と下賀茂神社境内(糺の森)河合神社を結ぶと (京都)大覚寺心経宝塔-嵯峨七ツ塚古墳群-当寺御影堂-平野神社境内を通過した。(対馬)和田都美神社本殿と下賀茂神社境内(糺の森)河合神社を結ぶと大覚寺庭園-大沢池-当寺九所明神-等持院境内-北野天満宮境内を通過した。宗像大社沖津と下賀茂神社境内(糺の森)河合神社を結ぶと当寺二王門を通過した。糺の森は南北に細長いので海神神社、和田都美神社、宗像大社沖津と糺の森を往来する神々を境内全てで受け止めている。上賀茂神社幣殿と(佐多岬)御崎神社を結ぶと堀河天皇後圓教寺陵-龍安寺方丈-当寺金堂を通過した。北庭が借景としている愛宕山山頂・愛宕神社と知恩院御影堂を結ぶと当寺金堂を通過した。愛宕山山頂付近から当寺と知恩院を同時遥拝できる。空海が真言宗を学んだ(西安)青龍寺と(京都)吉田神社本宮中心を結ぶと後宇多天皇蓮華峯寺陵のすぐ南側-当寺金堂・開山堂のすぐ北側-京都御所朔平門すぐ北側を通過した。大覚寺勅使門は西に(名古屋)熱田神宮本宮を遥拝しているが、この遥拝線は当寺金堂のすぐ南-平野神社境内-表千家不審菴-糺の森を通過する。比叡山根本中堂中心と天龍寺方丈中心を結んだ線は当寺勅使門を通過する。以上のように神佛の通り道は大覚寺より多い。宇多天皇大内山陵に集中する神の通り道が庭を通過している。伽藍全体が宇多天皇大内山陵に守られている形なので、庭は陵の一部といったところだ。近代建築を除いた伽藍建屋はすべて北に宇多天皇大内山陵、南に目視できる双ケ丘、東に久能山東照宮本殿、西に(インド)ブッダガヤの大菩薩寺を遥拝している。ブッダガヤの大菩薩寺と久能山東照宮一ノ鳥居を線で結ぶと、(京都) 愛宕念仏寺-当寺の五重塔と経蔵の間‐真如寺境内-北野天満宮楼門‐白峯神宮境内を通過した。久能山東照宮一ノ鳥居から内側が久能山東照宮の境内なので、神仏が行き交う帯を広く取ると更に多くの寺社、天皇陵が帯の中に入る。これらのことから白書院は白砂庭を介し東の久能山東照宮など各地聖地の霊気を室内に取り入れ、宸殿は白砂庭を介し南の双ケ丘、東の久能山東照宮など各地聖地、北の宇多天皇大内山陵の霊気を室内に取り込んでいることが読み取れた。白砂で囲まれた宸殿から南庭を見ると上に天空が、下に天の気を反射した白砂庭が展開している。二王門、双ケ山を借景とし、庭のマツ林がそれらに連なるように配されているので白砂が天空につながっているように見える。そのため天空の中に宸殿が浮いているように感じる。正に雲の上の世界だ。明るい白砂面、苔面上のマツ林、苔面が陰になっていることによるコントラスト効果、更に借景の組み合わせで、他では見ることができないと思わせるほど美しい白砂庭となっている。京都御所の紫宸殿内から白砂庭を見たことがないので比較できないが、こちらの方が美しいのではないだろうか。白砂面の砂模様は双ケ山から穏やかに寄せ来る波表現となっている。マツの影が苔面や白砂上に落ち清涼感が感じられる。緑豊かな双ケ山は低く感じ、高台にある仁和寺から南に京都盆地が広がっているので、地平線に近い位置の青空を遠くまで望める。手前に「右近の橘」「左近の桜」を、目線の先に双ケ山に続くようなマツ林を見ると、こちらに波が押し寄せてくるような白砂模様の効果で緊張感が生じている。宸殿から北庭を見ると比較的高い築山、借景の五重塔、比較的大きな池と一条の瀧、愛宕山に気が引かれる。北庭そのものが宇多天皇大内山陵の一部といった感じなので、池は古墳の濠に見える。池は古墳側の神域と人が住む地の境界池といったところだ。泉涌寺御座所庭園と構成は似ているが、白砂上に飛び石が置かれていないので御座所庭園よりスマートだ。飛び石が無いことで白砂面も神域となっている。池の手前側に少し大きな石を配し遠近感を強調しているが、池を取り囲むように石を配しているので、神が立ち寄り、それぞれの石の上に座り歓談している雰囲気になっている。築山の中の茶室は背後に五重塔が控え、神域と佛域にある茶室となっている。宸殿と同様、神域で時を過ごす場だ。北庭は北に霊明殿と築山、東に築山。南に宸殿、西に廊下の閉鎖空間なので、音がこもる。宸殿、霊明殿、樹木に音が反響するので高音が通り、皇族の活動の場に相応しい音響効果を出している。宮廷楽器演奏が美しく聴けるように設計したのだろうか。琴の音色が似合う大名庭園との違いを感じる。白砂面の砂模様は久能山東照宮から穏やかに寄せ来る波表現となっている。宸殿と黒書院を結ぶ寝殿作りの廊下が美しい。廊下から一条の瀧水を豪快に見せている。「侘び」「寂」の庭とは違った、神によって清められた「雅」な世界が広がっている。