借景山がないが大量の水を流す瀧があり、瀧水が池となり、川となって大濠池へと流れて行く。風が通る松並木に白砂が敷かれ水の流れのような雰囲気が作られていて、庭全体で大きな水の流れを豪快に表現している。池庭は黒い玉石で渚が作られ、頭が平たい石が水面から頭を出し、池を囲っている。神の降臨を促進し、神が遊ぶ形になっている。周囲のビルに囲まれているせいか、コンクリートを使用しているせいか、神の降臨感は少し削られているが、大仙公園内日本庭園に比べ、より神が遊ぶ雰囲気があり、落ち着いた面がある。しかし庭石の個性が抑えられている点は同じで、自然に近い風景ではなく、日本神話の絵画に出て来る風景となっている。中根金作と重森三玲はライバル関係にあったが、両者の庭は白砂を多く使い、遥拝や神佛の通り道を意識した共通点がある。神を庭石に権現させる表現が多い江戸武家庭園とは異なり、共に現実離れした冥界を表現している。両名共に生まれた時から日本が戦時体制にあり、戦死者が身近にいたから冥界表現になりやすい白砂庭を好んだのだろうか。グーグル地図上に線を引くと、茶室・茶会館は(京都)下鴨神社の東西本殿-(応仁の乱勃発地)上御霊神社本殿-裏千家千日庵-天鵞絨美術館-北野天満宮境内-中根庭園研究所-雙ケ岡古墳群-天龍寺宝厳院本堂-福岡城天守台を遥拝する方向に建っており、一直線上にあるこれら聖地を同時遥拝している。更にこの方角には聖地が多く、(甲斐)武田神社、善光寺、(京都)御所も遥拝している。池の西側にこれら聖地に向く東屋を設け、池対岸に目印の石灯籠、或いは庭石を置けば一直線上にある聖地を遥拝でき、聖地と対話できる庭になれる。カーブした白地の築地塀や砦の入口のような門など、テーマパーク的な表現があり、都会の中の極めて綺麗な、少し現実離れした公園という感じもある。1984年(昭和59年)バブル景気前夜開園なので、マツをふんだんに植えた豪華な庭でもある。ライバル関係にあった中根金作と重森三玲の庭を突き詰めると中根金作の庭は明治・昭和政府の天皇崇拝政策の流れに乗り、重森三玲の庭は明治・昭和政府の天皇崇拝政策に背を向けている。両者の庭は共に戦争に明け暮れた近代日本人の頭の中を表現しているが、両名が対立したのは、向かう先が正反対だったからだろう。両者の庭はそれぞれが帝国海軍と帝国陸軍を表現しているように感じる。