建屋は南南東に久能山東照宮を、西北西に飛騨山脈北部の岩小屋沢岳付近を遥拝している。建屋内から庭鑑賞することは久能山東照宮を背に、立山、劔岳、白馬岳など聖山を直接遥拝できる岩小屋沢岳付近を遥拝することなる。庭には神々を宿らせる聖なる石が散りばめられている。右奥には飛騨山脈を連想させる尖った頂きの三尊石石組みが、その左背後には石を寄り添わせた力強い御嶽山を連想させる石組みがある。飛騨山脈から流れて来た聖なる水が、頂きが尖った石で組まれた瀧から池に流れ込んでいる。建屋から飛び石を伝い亀島に向かい、細い石橋にて亀島に渡り、次に亀島から木橋を超え、飛騨山脈に分け入れるような山道へと道が続いている。山の入口には聖なる石があり、その背後に石塔がある。池手前側には亀島、飛騨山脈に分け入る山道、石塔を望む礼拝石が池に突き出ている。以上のことから庭は山と山に宿る神を題材にしたと読んだ。もう一つの特徴は沢の上に火を感じさせるためか、或いは水の上に火が有る状態を見せるためか、或いは松本藩藩主が立ち寄った際の夕食時に庭を鑑賞してもらうためか石灯籠が多い。亀島には道しるべ用石灯籠、瀧の傍には丸い火袋の石灯籠、建屋側にも幾本か石灯籠が立てられている。石灯籠の明かりや月明かりで庭石が浮び上がるよう池周りの石は白灰色にしている。心の池には水面に頭を出す石が置かれ、池手前には平面の礼拝石が池に乗り出すように置かれている。煩悩の象徴、鯉が泳いでおらず、池は静かな、嘘偽りの無い心を表現している。庭を取り囲むように配されたスギ・ヒノキは飛騨山脈に隣接する庭だと感じさせる。倉近くには古木で判別できないがカゴノキのような葉が美しい樹木があり、亀島には吉祥を表現するセンリョーとクロマツがあり、クロマツは枝を垂らせたように育てている。山奥を表現するアセビがあり、あちこちにいろいろな樹木による玉散らしがある。庭北側の白壁塀近くのイトヒバが繊細さを付与している。スギゴケが生える池手前にはサツキの丸刈りが並べられ。春はサツキ、アズマシャクナゲ、夏はショウブの花、秋はカエデの紅葉、冬は可憐なアセビの花が楽しめるようになっている。池周りに葉の小さな、或いは細い葉のいろいろな植物を取り揃え、季節ごとに花を見せ紅葉を見せることで繊細な気持ちにさせるようにしている。大庄屋の当主が、自らの立場をわきまえた行動を取るよう、大庄屋の当主に山中に居る時のような繊細で謙虚な心で心字池と向き合わせ、心を落ち着かせ、当主自らの家を正すことに心を向かせる目的で作った庭だと思った。封建主義の基本である家の継承、血脈思想を貫く庭であるが、武家庭園のような構えたところが無く、自由で、鑑賞者を包み込むような優しさがある。