「少女」見たところ14~15歳ぐらいの健康な少女が街頭に素っ裸で立たされ、恥じらいを持って両手で股を隠している。未だ成人女性教育を受ける年に達せず、人生経験なく、この場から逃げる知恵もない。後ろから見ると妙に色っぽい。おどおどしながら自身の大切な所だけを守るしぐさをする児童売春を連想させる像なので、三宮フラワー通りの山手幹線との交差点近く、小中学生が登校する地点には不適格だと思った。何一つ不自由の無い若々しい健康な体、素直な表情をした何事もすぐに吸収する年頃なので、大人が守り、教育を受けさせ、経験を重ねさせれば急成長し、少女の夢はすべてかなえさせることができる。1960年代まで中卒者が金の卵ともてはやされた。当時、中卒で就労した方々は子供心のまま、いきなり職場に入ったので、就職直後はやることなすことチグハグで先輩に厳しく叱られるも、すぐに要領よく体で仕事を覚えた。その年代の方々が今の日本の工業力や家庭を作り上げた。現在の学卒者は長い時間をかけ教育を受けるも、体で仕事を覚えた大先輩の技能にとてもかなわない。この像は大人が金の卵である少女を守り、指導すべきことを訴えている。通学路に晒すより、美術館展示が適当だと思った。「海の栄え」全裸の少女が床体操のポーズを取っている。右足を前に突き出し前屈、左足は後ろに残し脚を伸ばし、胸を張り、両腕、指を左右に伸ばしている。床体操の演技をスタートさせるも緊張表情ではなく目を閉じ恍惚顔をしている。少女がスポーツに熱中している顔でない。この表情で体操に挑む少女はいない。少女から成人へと進む時期には対抗心が生まれやすい。両親への反発、教師への反発などが生じやすく、学ぶことを拒否し、自分の世界に閉じこもりやすい。対抗心が自らの心に向かうと劣等感を膨らませることになり、学びへの積極性を失う。少年少女時代に必要なことは熱中できることを持つこと、東遊園地の傍に立てられた像なので、本来であれば一心に練習に明け暮れ、指導者の厳しい指導を受け、目を見開いた少女であるべきで、熱中するものを持っている少女を賞賛する像とすべきだ。恍惚顔少女像をフラワー通りに立てるのは不適格だと思った。神戸市役所ロビーには3つの成人直前の像「青銅時代」「着衣のフローラ」「若い女・シャツ」があり、共に成人になることをためらうような表情をしている。「青銅時代」スポーツで鍛え上げた少年が右手で頭を押さえている。今しばらく成人になるのをストップさせ、熱中していることに再チャレンジしようとする仕草をしている。少年時代に親、教師、指導員に反発し、自ら積極的に学ばなかったこと、大人のふりして突っ張ったことを反省し、或いは目標に到達できなかったことが悔しく、再挑戦を決意した姿になっている。日本においては志望大学に合格できず浪人となり、再挑戦を決意することが多い。目標到達するには相当な努力が必要だが、周囲が作ってくれた整った環境の中で努力さえすれば必ず成果が上げられ報われる。今は失意の中にあるも、失意がバネとなり鍛錬、学習を経て成人となることが約束されている。「着衣のフローラ」清楚に立つ巫女のような少女。少女時代のトップ年齢となり、後輩少女に慕われ、あこがれられるようになったが、自らの実力が成人としてはまだまだ不十分だと自省し、これまで学んだことを振り返り、未熟なところを再度かみ砕き、学び直し、身に付けようとしている。一見、おちついていて成熟しているようであるが、この年代は未だ成人の知恵と実力を十分に付けていないので、自己判断で強引に難関を突破しようとすると大失敗してしまう。親や有力者の協力を得て難関を突破し、成人に進む必要がある。「若い女・シャツ」下半身を露出させるも胸を隠す小さなシャツを着用している。成人時代に足を踏み入れているが、今一度立ち止まり、成人になるにあたり障害になっている人などに考えを巡らし、いかにして都合のわるい人や障害案件を排除しようかと考えているようだ。しかし、成人の知恵を少し付けただけの若い娘が勢いで障害排除の行動に出てしまうと、問題をより大きくこじらせてしまう。すでに半分は成人だが、今一度、少女に戻り、学ぶべきことを学ぶべきだ。障害を排除するのではなく、自然に成人となり、自然に障害が消えるのを待つのが良い。世間は自然淘汰、自然浄化の原則で動いているので、自らが奮闘しなくとも解決されることは多い。神戸市役所ロビーの3体の像は街角の「少女」「海の栄え」像と違い、少年少女が成人となるにあたり、いかにしてものごとを見つめ、次に行うべき行動をいかにして考え、決断すべきかを見せている。市役所員は青少年を指導し、保護すべき必要性を説いている。青年の「青銅時代」像は市役所正門を入って右側、女性の「着衣のフローラ」像は、正門入って左側、正しい陰陽位置にあり、「若い女・シャツ」像はエレベータホールの奥に市役所員の心構えとして置かれている。3体共に印象深かった。