永保寺

四方を山で囲まれた庭は大自然の中にあるが、この風景は自然界で見ることができないと思わせるほどに美しく、禅の世界が表現されている。その庭の中に本堂、観音堂、禅堂がある。池の護岸石組に飛び出す石は無く、踊る石も無く、非常におとなしく組まれている。個々の護岸石も特別美しい訳でも無く、豪華でも無いが、組まれた全体の姿はリズミカルで美しい。清掃が行き届いているためか個々の石に個性を感じる。庭は単に美しいと表現するようなレベルではなく、真の日本庭園だと述べたいほどに美しい。山と庭が作る整った自然風景の中に、整った本堂、観音堂などの堂宇があり、庭の中にいるだけで整った気持ちにさせられる。禅修行にふさわしい環境と人が幸福を感じる空間は相通じるものがあり感動するのだろう。清流に隣接する厳しい禅修行道場なので、邪気を払い、男女の世界を超越し、地位・肩書より実践を重んじ、自らの欲と戦う思いやりの地となっている。天の気を映す池が二つあり、岩崖、瀧、中之島、建屋、石、樹木は個々に個性を持ちながらも天の気に同調している。庭鑑賞することは、庭が表現する禅の世界に居ることに通じるが、自らの心を開かなければ、この庭の美しさを自らの心の中に入れることはできない。この庭を世俗で汚された頭で理解し、分析するのではなく、すでに世俗とは違う世界に入ったのだから、先ずは心を開かなければならない。心を開けば、庭が表現する美しい禅の世界と交わることができ、心に禅の世界を取り込むことができる。この庭の姿から、座禅とは心を開くことであり、心を解放することだと学んだ。西の(対馬)海神神社と東の赤石山脈の聖岳(ひじりだけ)頂上を結んだ線は本堂、庫裏、大書院を貫く。これら建屋は両聖地を遥拝している。西の多賀大社本殿と東の(江戸城)富士見櫓を結んだ線は開山堂を通過する。開山堂は両聖地を遥拝し、観音堂も同じく多賀大社と江戸城本丸を遥拝している。大名庭園と同じく天、山、地、沢を見せる庭なので、大きく観ると「42風雷益(ふうらいえき)益する道」風の如く善い修行に励み、震雷のような決断で過ちを改める。豊かな流れの中にあって英断を行えば自らを育て益させることを見せている。