中心建屋、詩仙閣は西北西に当苑がモデルとしている(京都)詩仙堂(丈山寺)を、北北東に(飛騨)位山頂上を遥拝している。遥拝先の(京都)詩仙堂はこちら岡崎平野と違い東山の麓、見晴らしの良い高所にあり、山からの水があり、修学院離宮・河合神社・御所に近い。二階建てが許されない時代に京都市内を見張れる上楼が設けられた。武将時代の石川丈山は徳川家康の寵臣で、(徳川将軍、尾張徳川家のため働いた)同世代の松花堂昭乗、そして(淀藩家老)佐川田昌俊と親しく付き合い、同年齢の(徳川家康に仕えた儒学者)林羅山、(徳川家光の茶道師範を務めた)小堀遠州、(朝廷と緊密だった)本阿弥光悦と交流しているので、証拠がなくとも徳川家の諜報員だったことが読み取れる。丈山苑入口門を潜り詩仙閣に向かう道は京都風情が表現され、高低差がある渓流には小さな瀧があり、梢の隙間から零れ落ちる太陽光を楽しむ現代庭となっている。詩仙閣の南側、詩仙堂前庭を模した唐様庭園は詩仙堂と同じくサツキの大刈込にて大波の表現がされ、白砂が敷かれている。大きな違いは渓流(水路)が太陽光に晒されていること。詩仙堂は植栽下に渓流を隠している。現在の詩仙堂は樹木が大きくなり本来あった京都市内の借景を失っているが、樹木を伐採すれば借景が取り戻せる借景庭園。こちらには借景が無い。詩仙堂で登れない上楼に上がれたことは良かった。詩仙閣の北側、位山頂上を遥拝するための蓬莱庭園は、酬恩庵一休寺の北庭をイメージしたとのことだが、酬恩庵一休寺の北庭は京都市内や東山、比叡山、愛宕山を借景とする庭園、こちらには借景が無い。京都風情を意識し蓬莱世界をうまく表現されている。詩仙堂もそうだったが丈山の時代に孟宗竹は日本になかったことがどうも気にかかる。唐様庭園、蓬莱庭園、回遊式池泉庭園は一見、日本庭園だが、基本は欧米庭園だと思う。英国小説、諜報部員ジェームスボンドが退職後、悠々自適な生活を送るにふさわしいような雰囲気がある。庭が樹木で包まれているのでプライベートな時を過ごすにふさわしいが、祈りのための借景が無い。詩仙堂の庭は樹木の陰に石塔や石を置き、しんみりした部分があるが、こちらは渓流を太陽光に晒し、石塔や石に太陽光を浴びさせ、陰や影の世界を排除しようとしている。日本の自然風景ではあり得ない大量の水を流し出す泉がある。一つは唐様庭園に流れ、もう一つは回遊式池泉庭園に流れ池に注がれている。回遊式池泉庭園の芝生面は午後の紅茶を楽しむ雰囲気がある。どうもこの庭は、現代人の幸せとは現役時代に大きな仕事を行い、リタイア後は自分のためプライベートな時を楽しむことだと提唱しているかのようだ。丈山の像があるので余計に欧米式の庭に感じてしまう。日本文化には日陰の人に思いを馳せ思いやり、他人の陰(影)の部分に思いを至らせるも見て見ぬふりをする、人に見られないよう陰徳を重ねることを美徳とするところがあるが、それが表現されていない。近代日本は日本の因習を排除して来た。その流れにある庭だと思うが、もともと日本文化は陰(影)を尊重してきたし、未だに欧米人に対してはシャイな人種で、神と共に遊ぶ祭りを大切に継承する民族なので、日本人の心を表現する日本庭園には陰を表現すべきではないかと思った。