吉備津彦神社

卑弥呼と目される孝霊天皇の娘、倭迹迹日百襲姫命(百襲姫)の弟、吉備津彦命の居住地跡と考えられた地に社殿が建てられた。守屋山麓の諏訪大社上社境内と吉備中山麓の吉備津神社・吉備津彦神社は似た空気が流れている。両地共に天皇を中心とした勢力に征服されるも、部下は取り立てられた歴史を持つ。吉備津彦命が吉備中山を本拠地にした頃、吉備中山の南は瀬戸内海の吉備の穴海に接した大和政権に必須の海路の要衝地であった。岡山市が古代神道の雰囲気に包まれているのは、岡山藩主、池田光政が行った荒神や淫祠の10,528神社を寄宮71社へ合祀、大社・産土社含め638社のみ存続させ、同時に神仏分離を推し進めたことによるのではないだろうか。結果、古代神道が浮かび上がり、今に続いているのだと思う。参道両側の池が四角形なので、スッキリした池庭となっている。上田宗箇の石が踊る荒波を表現した石組みを真似たのか亀島の護岸石は池に突き出す石あり、立つ石ありと賑やかだ。但し、石は切り出し石で、角のラインがシャープなので、石が踊る表現とはならず、現代庭園かと思うほどにスッキリ仕上がっている。或いは近代改修によるものかも知れない。亀島とつながる島にはストーンサークルがあるが、神が座る頭が平たい石が少なく、神々が石々に権現し一同に会する石組みとなっている。亀島神社では宗像三姉妹のイチキシマヒメを、鶴島神社では住吉三神と神功皇后を祀っている。そのせいか、亀島の池庭には天女が舞っているような美しさがあり、鶴島の池庭には男性的な力強さがある。池庭に海の神、航海の神を据えたのはかつて当地が海路の要衝で、いずれの島も巫女神楽の舞台となりうる平面状なので、航海の安全祈願を行うための庭なのだろう。鳥居と太鼓橋を結ぶ参道に沿って東北方向に線を伸ばすと日本三霊山の一つ、白山頂上に到達する。吉備津彦神社拝殿も白山頂上に向いている。本殿は福知山城天守閣に向いている。参道、拝殿、本殿の逆方向には吉備中山があり、祈りは神体山、吉備中山に吸い取られる。日本人は神殿にいる日本人の祖先神に向かい主に自らの生命欲、自己顕示欲など心が望むことを祈り安堵感、満足感を得る。そして心の欲を目標に活動を開始する。もし活動中に不都合なことが纏わり付き、罪悪感に悩まされたら、それらを禊にて洗い流し、新たな気持ちで目標到達への努力を継続する。身勝手な宗教ではあるが、天皇を中心とした政権が樹立されて以降、2千年近く継続されて来た日本の中心的宗教であり、この神道にて日本は発展を続けて来た。大半の日本人は吉備津彦命と間接的な血縁関係にあるので、主祭神、吉備津彦命への祈りは、吉備津彦命が行った温羅を殺した罪を取り去る、禊になっている。