先の駒門風穴と高取城の記事で、易経「46地风升」昇卦から企業発展、企業人の苦労を紹介した。樹木が昇るように成長する姿と企業が発展する姿は似ている。
樹木は自らの遺伝子と環境で成長限界を迎える。企業は自らの宿命と社会環境で成長限界を迎える。大きく成長しようとする志が大きいほど成長限界を迎えた時、深い困の境遇に突入し、動きが取れなくなり、精神的に苦しむ。困という字は木が枠の中にあり、根が伸ばせない、葉や幹を伸ばせない、昇ることを止められた形をしている。
成長の次に困が訪れて来るが、成長時の浪費、節度無き行動、納期遅れ、品質不良などによる信用失墜、資金不足など、昇りの反動にても困が発生するので、困から企業は逃げることができない。「47泽水困」困卦は困を処し困から脱する智恵を説く。
困卦は上に沢があり、沢の下に水がある状態、つまりダムや河の水が干上がり、水が見えなくなるも、干上がった沢の下には地下水が残っている。
しかし地下水を水田に引くことができずに困ってしまう。そのような時、豊富に水があった時に節水しておれば良かったと後悔しても意味はない。企業にとっては大きな利益を上げていた時に節約しておけば良かった、投資を控えておれば良かった、適材適所としない人事の失敗で有能社員を流出させなければ良かった、新製品の発売が遅れてしまったなど後悔しても意味はない。
易経は貧しい人は救いようがないと説くが、その貧しさは金銭の有無だけではなく、心の貧しさも指す。寂光寺(江口君堂)の記事で述べたが、困に陥った時、干上がった沢を安易に見捨て、引っ越しするような、心の貧しい親が娘を遊郭に売り、困から逃れるようなことをしないように諭している。
困ったことに陥った君子の周りには君子の足を引っ張るレベルの低い者達が纏わりつき、君子が実力を発揮できなくされ、より困った状況に落とし込まれ、気が通らなくなってしまうので、正面から困と向き合い、自らに残された手段を使い全力で切り盛りし困から脱することになる。
相国寺方丈裏庭園は枯山水で河を表現している。金閣と銀閣を結ぶ線上の中間地点に枯山水河が流れ、その流れは金閣から銀閣へ向かっている。足利家最盛期を象徴する金閣、足利家の衰退開始を象徴する銀閣、枯山水河は滅亡方向へと流れている。枯山水河の北北西342m地点、いわば庭先には足利家の衰退を決定付け戦国時代へと突入させた応仁の乱勃発の地を示す碑がある。この枯山水河はどのような大雨が降っても溜まることなく地下水となり、足利幕府が抱え込んだ困の状況を刷り込んでいる。
足利家は河に水を安定的に流すような、上流の山々に植林を行い、山に水を貯えさせるような措置をせず、足利家再興のための戦いに明け暮れ、日本中を困難に落とし込んだ。枯山水河が表現する困の中で、もがき続け、滅亡した足利幕府の歴史に思いを馳せると、枯山水河を取り囲んでいる伸びきった樹木が、器の小さかった足利幕府の将軍達、管領達に見え、根本的な政治的処置をせず困に明け暮れ、崖や崖の上で伸びよう、昇ろうとあがく姿に重なり、見ごたえがある。
杉やヒノキなどの人工林では定期的に間伐を行い、樹木に太陽や風を通し、気が通るようにし、成長の速い樹木の成長を助ける。気が通らない状態に置かれた人は成長が止まり、心が痛みを感じるような困った状態に陥る。企業は成長が止まると、気が通らなくなり売れ行き不振、過剰設備投資負担、現金減による資金不足、同業他社とのし烈な競争、情報漏洩、派閥争い、社員の定着率が低くなるなど困に陥ることになる。
困の発生は企業や人が自らの実力を発揮できない状況が発生したことから起きる。その処置を行う社長を中心とした企業人は自分達のレベルを多くの人に晒すことになる。逆に言えば企業人が困ったことを解決する過程で、その企業人がどれくらいの品位を持っているのか、善行を行っているのか、正道を進んでいるのかを皆に見せることができる。
君子、すなわち品位の高い人は、困を処置することで自らの品徳を養うことができると捉え、君子は重荷になった困に対し、泰然と構え、節度を持って向き合う。君子は次々と困が訪れて来ても、自らの志が高いゆえに再三にわたり動きがとれない苦しみが訪れて来るのだと悦び、徳でもって、正道を通れるようにし、正道を歩き、困を処し困から脱し、困を悦に変えてしまう。君子はいつも貧しいと称されるのは、志の高さ故に、次々と困が押し寄せて来ることへの賞賛の言葉だ。
器が小さい人は、困を物質面の貧しさへの前兆だととらえてしまい、あせり、屈伸するような目先の対策を行い、手段を選ばず、なりふり構わない強引な処置にて、これまで通り、伸びよう、昇ろうとあがく。
しかし困は物質面より精神面の比重が大きいので、君子ならば長期的な視野に立ち、光明がある方向、喜悦ある方向を探し、その方向に向けて正道を作り、歩き出す。喜悦を得る時を困の出口とし、出口への目標を作り、出口に至るまで浮かれることなく、自らを失することなく、泰然と、やるべきことをやり続ける。
難しいことを解決できた人こそ君子にふさわしい徳を備えていると多くの人から賞賛される。
社長は企業の中心にいるため、困は社長が取り組み解決にあたるため、社内で社長の行動を批判する者が一人もいなくなる。企業の営業、生産など最前線にいるのはベテラン社員であり彼らが実の働きを行っているので、実際の解決は彼らが行う。
軍隊においては下士官が兵を引き連れ戦い、困難な戦線を突破する。社長や将官は自分が納得できる言葉で、自分を説得できる言葉で、関係者を説得しなければならない。そして言葉に対し敬意を払わなければならない。そのような言葉を発せなければ、ただのお喋りで、困は更なる迷路に迷い込み、ますます深く遠いところに向かい、解決が遠ざかってしまう。
社長が関係者と言葉で通じ合うことでコミュニケーションが取れるようになり、解決に近づく。解決のために、言わなければならないことは必ず言い、解決に不要なことは一切言ってはならないと教える。解決での道で、社長自身が追い込まれたら、社長自らが考えを変え適応すること、その際、自らの身を捨て、義を取ることで道が開ける。
義とは正しい道、道理にかなったこと、人道に従う公共のための行い。そして、これまでの成長を振り返り、理性的に検証、分析を行い、今後についての理性的なルールを作る。そのルールが世間で通り、大多数の人が良いとするルールであれば、ルールは長く続き、企業存続ができる。志が高い企業ほど困の打撃は大きいが、困を突破したことを多くの人に見せることで世間に認められた企業となる。
困の道は困と対峙する君子の志が大きければ大きいほど強い力となる。解決への行いが通るなら進み、行いが通らないなら止まる。易経の基本的行動「上」に進み、限界点で「止」まり、そして「正」しい道を進む。止まるのは正しい道を探るため、困の放棄ではない。
君子の周りにはややこしい連中がからんでいるが、ややこしい連中、易経で言うところの小人を切り捨てるのではなく、小人に対する警戒を怠らず、小人らの困を理解し、一緒に困の道を進むことも、困の解決のためには必要だと説いている。
相国寺方丈裏庭園の枯山水の河を転げ続け、深い困へと向かうのではなく、困ったことの根本原因を分析し、根本的な解決を図るべきことを庭が語っている。
困った戦国時代は長い日本の歴史からすれば一時的なものだった。それを解決した中心人物は、足利氏と同じ血流を持つ河内源氏の武田信玄、武田勝頼、細川藤孝、行いから見て河内源氏の血流と思える明智光秀、千利休、天海。武田信玄の息子説がある徳川家康、武田信玄の工作員だと推測する織田信長、大原雪斎らだったと思った。