応仁の乱を反省する庭
白砂を敷き詰めた方丈表庭園から方丈裏庭園へとつながる方丈西側の廊下に沿って上品なコケ庭が展開している。白砂側にマツ、裏庭園側にカエデなどが植えられ、方丈側には焼き上げられた黒レンガが並べられ、灰色の玉石を敷き詰めた屋根から落ちる雨水を排水する為の側溝が黒レンガ床に沿って伸びている。これらに略平行に伸びる白壁塀がコケ面をより鮮やかに見せる。方丈の北西側に置かれた洗水鉢とそれを支える石組みは表庭園と裏庭園の領域を分ける目印となっている。振り返ると表庭園庭の一部が見え白砂は天を写し、コケ面は地の声を聴かせてくれる。裏庭は枯山水庭園なので洗水鉢には木の蓋がされ、水面を見せない配慮がされている。一見すると裏庭(枯山水庭園)は大自然を枯山水方式にてごく自然に表現しているように見える。大きな掘り込みが特徴で、掘り込みの境あたりにポツポツと置いた石が掘り込みをより深く、対岸の築山をより高く見せる。掘り込みの枯河は大きく3つのエリアとなっている。大きな瀧石と瀧に続き流れの速い瀧エリア、次に枯水の流れの高さを滝エリアの流れ部分より浅くし掘り込みの幅を狭くすることで緊張感あふれる激流を見せる峡谷エリア。そして流れが緩やかになり小さな石橋が架けられた川下エリア。掘り込まれた枯河の吸水率は抜群で、雨水は流れを表現する灰色の玉石を潜って地下に吸い込まれる。しかし掘り込みが深いため樹木の影と灰色の玉石で水が流れているように見える。築山及び手前の面はコケで覆われ、多くのアセビが植えられているので深山の渓谷を見ているような感じを受ける。まだ寒い春に訪ねると口を閉じることを促すアセビの白い花が可憐で、築山の先、樹木の間に見える書院のウメの花が春の暖かさを感じさせ、そしてシダレザクラ、その次はツツジ、川下のサツキの丸刈りが咲くことを予感させ、時の流れが実感させられる。表庭園では天を下卦とする易経の象意が読み取れたように、裏庭園でも沢を下卦とする易経の象意が読み取れるようになっている。青空が高く見え、木々の影で沢が深く見えたら「10天澤履」天は高くして上に有り、澤は低くして下にある。虎の尾を踏むような危ない目にあっても柔らかい態度、礼を失しない態度で難関が突破できる。天空に沢(大雨をもたらす雲が発生し大雨)が生じたら「58兌為澤」悦び合いながらも言葉が滑らないよう節操を守るべき。相互に悦び合い、朋友が共に勉学にいそしみ、相互に益し合う姿を見せる。北向きの庭なので方丈から太陽や月を直接見られるチャンスは少ないが、日の入り、月の入りが見えた時は「38火沢睽」火(日)と沢とが背反している。背反しているが故に引き合う。男女は背く点が多いがそれ故に惹きあい永遠の付き合いとなる。沢に雷が轟くと「54雷沢帰妹」若い女は納まる所に納まるように嫁ぐ。婚姻は永久継続を念じつつも弊害欠陥が生じやすいので注意を怠らないことを知り、新しい世代の始まりを知る。沢の上に風吹くと「61風沢中孚」談笑しているような爽やかな風が吹いている。人々は誠意を内にした節度、節操ある人を信じるので。沢の上に爽やかな風が吹くような気持ちで人と接すべきことを見せる。枯河の上に雨雲が漂うと「60水沢節」池水は節度があってこそ池水、節度があってこそ豊かに水を貯えることができる。節度があってこそ経済的安定が保たれ豊であれる。無鉄砲に蓄財することの愚かさを諭す。築山の底に枯沢があるので「41山沢損」沢が損して山が得し、大地が損して植物が得し、植物が損して動物が得するように損ずる道は自然の道理。修養の上での損は怒気と欲望。自然の道理に学ぶべきことを見せる。地の下に沢があるので「19地沢臨」地の水が流れ沢に入り沢の水は地を潤す。春たけなわ。地と沢は持ちつ持たれつ。植物を大いに生育させ、次々と花を咲かせ、若葉を茂らせる。調和すれば前進し、若い活動ができる。水の無い枯河なので沢を下卦とする悦びの象意を明確に見せ、悦びを得るための知恵が画かれている。京都支配の象徴である貴船神社の少し上流、貴船川の源泉あたりと、日本人の心の中心地、熊野本宮大社大斎原とを線で結ぶと、その線は当庭園及び方丈を通過し、方丈表庭園の勅使門、法堂、勅使門を通過し、京都御所紫宸殿など御所の中心建屋を通過し、渉成園を通過する。この堂々たる遥拝線上の裏庭が美しくないはずがない。相国寺の山外塔頭寺院である金閣・銀閣を取り囲む庭も格別に美しいが、金閣(鹿苑寺舎利殿)中心と銀閣(慈照寺観音堂)中心とを結んだ線上にこの美しい庭がある。その線の長さは6.5㎞、金閣から当庭園まで3.1~3.15㎞なので略中間となる。「金閣寺庭園」は河内源氏による日本支配を完成させた足利義満が池の中に日本列島を画いたもの。「銀閣寺庭園」は政治に関心を示さないことで応仁の乱を引き起こし、一族の蓄財と権力集中とを行った足利義政が政治の世界から逃げるようにして作り上げた美の世界。美の世界は河内源氏が君臨できる政治機構を利用し、無鉄砲に蓄財した金で作られた。相国寺の三大庭園が一直線上にあり、当庭園がわずかに金閣寄りにあり、枯河の掘り込みが略その線上にあるので、金閣・銀閣の両庭園を結びつけるように枯河が深く掘られ、金閣から流れて来た水が当庭園の瀧で打たれ、急流、激流を経て穏やかとなった後、銀閣寺の池に向けて流れて行く、銀閣を取り囲む池に流れ込むドラマが画かれたと推測した。足利幕府最盛期を象徴する金閣、足利幕府衰退を象徴する銀閣、衰退の要因は応仁の乱。よって掘り込みが画く瀧に続く急流と峡谷の激流は応仁の乱だ。庭が少し金閣寄りにあるので河内源氏が作り上げた源氏による太平の世が、河内源氏の足利義政の無節操、無鉄砲な蓄財のために応仁の乱、戦国時代へと流れてしまった反省の歴史を画いたと推測した。歴史の大きな流れを見れば河内源氏の武田氏・今川氏・徳川氏が歩調を合わせ河内源氏の足利幕府とそれを取り巻く勢力を織田信長に滅ぼさせ、前後して織田信長に今川氏、武田氏を滅亡させ、力ある宗教団体を弾圧させ、徳川一極体制とする源氏の理想社会を完成させた。豊臣秀吉も徳川家康のエージェント。徳川幕府が安定政権となるために日本統一をさせ、太閤検地にて国家基盤を作らせ、刀狩にて暴動が起きにくい社会を作らせ、朝鮮出兵により明朝を滅亡させて東アジアの政治安定をもたらせたと読める。明智光秀、千利休、天海は盤石な徳川幕府を完成させるための歴史の司会者だった。この庭園は応仁の乱を表現した絵巻物語のようでもあり、文章や写真では表現できない美しい世界を持っている。応仁の乱、そして戦国時代を起こしてしまった河内源氏の反省が画かれているから美しいのだろうか。この枯山水庭に雨が降っても水が溜まらないようにしたのは庭が易経「6天水訴」の状態にならないようにするためではないのか。裏庭に入る所の洗水鉢に蓋が被せてあったのも水を見せないためではないか。高い天と水の流れ「6天水訴」の象意は本来、天が上に、水が下にあり自然な姿に見えるが、天は上に上にと進むもの。水は下に下にと進むもの。天と水とは進む方向が違う。目指し進む方向が異なる者同士の争いは天水が違行するような愚かしいもので、争えば争うほどに溝が深まっていく。勝っても負けても利が無い。いくら正当な理由があり、誠実な争いをしても、争えば争うほどに再び戻ることのできないほど溝を深めてしまう。争いを避け悦びを享受する意味を込めて水を見せない枯山水庭園とし、深い掘りこみに急流、激流を画くことで応仁の乱を表現し、争いなきところに悦びがあることを易経から読み取らせる応仁の乱への反省庭園としたと読める。この庭の北、約300m地点が応仁の乱勃発の地なので深い反省の意を感じる。