謙虚で雅な借景庭
江戸初期の豪商、清須美道清が作った前園と、明治の実業家、関藤次郎が作った後園が水路で連なっている。いずれも借景の山々を高く見せる池があり、池の周りが回遊できる。参観コースに沿って先ずは恵まれた借景の後園を鑑賞。ゴージャスな三笠前山(御蓋山)、花山(春日奥山)、東大寺南大門、若草山を借景とした広々とした庭(園)。清秀庵、氷心亭、及び隣接する案内所建屋は1.45km東南東にある標高296mの三笠前山(御蓋山)山頂を遥拝している。御蓋山は春日大社の神体山であり、山頂付近には本宮神社がある。芝生面の築山上の庭石は御蓋山になびく方向に置かれ、氷心亭からは御蓋山を直接遥拝できる庭となっている。清秀庵と氷心亭から御蓋山山頂付近へ伸ばした線を更に約83.5km伸ばすと伊勢神宮内宮に至る。清秀庵、氷心亭は御蓋山と伊勢神宮内宮を同時遥拝している。(アマテラスを祀る)伊勢神宮内宮-御蓋山山頂上付近-氷心亭-清優庵を結んだ線をそのまま西北西に伸ばすと(奈良)佐紀高塚古墳(孝謙天皇(女帝)陵)の中心に到達する。この線が通過する庭池は女神が遊ぶところとなっている。庭が借景としている南大門から唐招提寺開山御廟まで線で結ぶと池を通過するので佛が見守る池でもある。築山の石々は御蓋山に視線を向けさせる役割を果たすと同時に、南大門を引き立てる役割を演じている。芝生面の築山と芝生面の若草山(標高341.7m)に挟まれた南大門は存在感があり、大きく見え、東大寺の境内に隣接していることを実感させる。借景の若草山山頂には鶯塚古墳があり、御蓋山は神体山、御蓋山と花山(標高497.7m)を含む春日山は春日大社の神域となっていて春日山原始林の中にある。正に神々と佛に囲まれた庭だ。これからも借景が壊されることがないだろう。アセビが満開、サクラが咲き始めていた。サツキの大刈り込みはおとなしい。小堀遠州の庭のように大刈り込みが大きく波打つ表現ではなく奈良らしく素朴でのんびりとした自然体の刈り込みとなっている。池に注がれる水は御蓋山、若草山を源泉とし、東大寺境内を通過した水で水量も多い。聖なる水であることを意識させるよう芝生面の築山両側から渓流を伝って池に注がれている。築山の右側、瀧付近に頂点を天に向けた石があるが、それ以外の石はおおむね上面を平らとした石で、ほとんどの石が鑑賞ポイントになっていない。あちこちに置かれた大きな支柱用の礎石、中之島への一列に置かれた円筒形の渡石、中之島に置かれた上面が平らな大きな石は南大門、春日山を大きく、高く見せるためにある。神が遊ぶにふさわしいように整った形の石、円形に加工した石を使っている。あくまで庭の主役は借景の神々が住む山と佛が住む寺で、ゆったりとした気持ちで借景の神域と庭池に遊ぶ神々と波長を合わせ神と共に時を過ごすことができるようになっている。神々と一緒に暮らす日本人の心を表現した近代日本人が作った庭だ。次に前園。前園は建屋と樹木で囲まれ、三秀亭から池対岸の建屋の上に春日山を見せる内省的な借景庭。入口に近く、樹木、建屋で囲まれているせいか、当地が東大寺に隣接し、近くに興福寺があることを強く意識させられる。前園から南大門は見えないが、南大門中心と(大阪)四天王寺講堂を線で結ぶと、線は当庭池、(奈良尼辻)宝来山古墳を通過する。南大門中心と(インド)ブッダガヤの大菩薩寺中心を線で結ぶと、線は三秀亭のすぐ北側を通る。このように庭は佛が往来する帯の中にある。池水は後庭からの水が流れ込み綺麗。内省的な庭なので庭池に佛がいるように感じてしまう。三秀亭の軒先から庭を眺めると鶴亀になぞらえた平らな中之島に植えられたクロマツが鑑賞点になっている。石灯籠は適度な大きさで主張していない。庭に芝生面は少なく苔面が多い。左右の樹木が庭を圧迫している。池対岸は小高くなっていて、そこに建つ清秀庵など建屋も庭を圧迫している。それら建屋の上に花山(春日奥山)が望めるが、清秀庵などの建屋が建つ前は主に春日山を借景とする神々しい庭だったのだろうと思った。現在は左右の樹木、対岸の築山上の建屋が庭を圧迫しているので、神が遊ぶ庭池ではなく佛が滞在する庭池の感が強い。三秀亭は南南西の耳成山口神社を遥拝しているので、おそらく後園が作られるまでは神が遊ぶ庭だったのだろう。前後園共に樹木の刈り込みが独特で、いさぎよく切り込み、刈り込んでいる。それが借景を生かし美しく見せている。クチナシ、アセビがあちこちに育っている。庭では口を慎みなさいという意味なのだろうか。どこまでも謙虚で雅だ。