枯山水の和室前庭園と、枯水が実際の水となり音を立て流れ落ちる瀧から円形池、渓流へと抜け東屋に至る庭があり、共に現代人の生き方を提唱している。枯山水庭には三尊石組、神が権現するような形の石、神の着座石があるが、庭の中心は築山上の春日型石灯籠。築山上には石灯籠に向かう直線の飛び石、築山から和室まで曲線上に並べられた大小の石々、和室側には細長く大きな沓脱ぎ石を並べ、築山は流線形、三尊石からの枯瀧は三段で横直線を強調、築山上には竹を組んだ縦直線を強調した垣根、白砂面には丸い水の輪が画かれている。植栽は真っすぐに立つ竹、真っすぐに梢を伸ばすサルスベリ、曲がった幹を強調するマツ、直線と曲線を強調した庭となっている。三尊石と枯山水瀧は漫画的な意匠となっており、遥拝を考慮したようには見えないので、伝統的な日本庭園の三尊石の石組みをデザイン化したもの。他の石、そして春日型石灯籠も庭デザインとして置き、四季の植物の色合いの変化で季節を見せている。茶室、竹生庵が控えているので、モッコク、ツバキ、クロマツ、ゴヨウマツ、カエデ、アズマシャクナゲ、サンゴジュ、ドウダンツツジ、マンリョー、コデマリのような樹木、サルスベリなど江戸庭園で見かける樹木からなり、伝統は継承しつつ、山中を模した露地から脱却した、現代美を追求した庭となっている。手前から、白砂面、芝面の築山、竹の垣根、竹林、借景の小さな山の樹木、空からなる庭で、白砂面と築山に植えられた力強い樹木との組み合わせで白砂を沢と見せ、借景の竹、山の大木、空にて風と見せている。庭を大きく見ると沢の上を風が流れている形で、その中心に火を連想させる石灯籠を置くことで、雑念すら一切起きない爽やかな庭としている。自らの心まで風で飛ばされてしまいそうな清涼感がある。次に、水が流れ落ちる瀧から東屋までの庭、瀧はコンクリートで固めた段差ある水路からなり、瀧水は鯉が泳ぐ円形池に流れ込む。段差水路が奏でる綺麗な水音にうっとりとする。ツツジの大刈込で囲まれた円形池は青空を映し美しい。渓流は谷の間を抜けるように見せる水路とその両側に盆栽のように育てられた樹木からなる。こちらの庭はタケ、ササ、マツ、カエデが見どころで、その場、その場にふさわしい色々な樹木草花の色合いが鮮やかで、宝石箱のようになっている。行き届いた管理がされた、閉じ込められた、整った美しさを見せている。和室前庭園を公の場、瀧から東屋までの庭を私の場つまり家庭と見ると、公の場においては私を封じ込め、自らの心さえ消し去り公儀に従うこと。私の場、心を休める場である家庭においては家庭内を整え団結すること。それこそが現代人が時代を乗り切れる生き方であり、その生き方を提唱していると読んだ。この庭に伝統の遥拝を加え、神佛が宿る雰囲気とすれば重厚な庭になると思った。