箸墓古墳が卑弥呼の墓だと有力視されている。ウィキペディアの卑弥呼の記事には「火の鳥文庫の伝記によれば在位は188年頃〜247年」とある。そこから推測すると在位期間が約60年と長く、天皇ではないのに在位と称されているから、幼い頃から祭祀を司った姫巫女で、古墳信仰がスタートしたばかりの時代に、祖父、親、兄弟である天皇のまつりごとに大きな影響を与えていた。影響力の大きさから3世紀中ごろ日本初の前方後円墳に祀られたと考えるのが自然だと思う。古墳時代は3世紀中頃~7世紀末と教科書で説明されているが、洗練された前方後円墳の箸墓古墳が古墳時代最初の古墳であるはずがない。古墳は箸墓古墳より早い時代から作られ始めていた。第一代、神武天皇陵跡は判明してないが、現在の神武天皇陵、もしくはその付近だと推定され、江戸時代に造営された。第2代天皇陵は神武天皇陵の北隣、神武天皇陵と同じく平らな地に樹木を育てている。第2代以降の天皇陵は宮内庁が治定しており、第3代以降の天皇陵は盛り土があり古墳の形になっている。しかしながら欠史八代(第2~9代天皇)空白の150年間の記録が残っていないことで、第2~9代天皇の存在そのものが疑問視され、陵墓の治定も懐疑の中にある。第3代天皇以降、陵墓は盛り土がされた山のような形をしているので、実際の古墳時代のスタートは2世紀なのだろう。生年、没年、在位年が確証されている最先代天皇は第33代、推古天皇(在位期間593年~628年)。平成が終わった2019年から数え推古天皇在位開始593年まで1426年間、93代で割り算すると在位期間の平均は15.33年(平均①)、この平均①から算出した125代前の神武天皇就位年は西暦102年頃となる。生年、没年、在位年に?が付いている最先代天皇は第26代、継体天皇(在位期間507年?~531年?)。平成が終わった2019年から数え継体天皇在位開始507年?まで1512年間、100代で割り算すると在位期間の平均は15.12年(平均②)となる。この平均②から算出した神武天皇就位年は西暦129年頃。平均①②から算出した天皇制度開始年を合体すると102年~129年の間に開始されたことになる。上記、平均①15.33年から卑弥呼の在位年188年頃~247年における天皇を探すと102+(6代×15.33)=194年、102+(9代×15.33)=240年、卑弥呼の在位期間中の天皇は6代目天皇の在位直前から10代目天皇の在位直後までとなる。上記、平均②15.12年から卑弥呼の在位年188年頃~247年における天皇を探すと129+(4代×15.12)=189年、129+(8代×15.12)=250年、卑弥呼の在位期間中の天皇は4代目天皇から8代目天皇となる。上記①は6~10代、上記②は4~8代、①②の両方で重なるのは6~8代、このことから卑弥呼が特に活躍したのは6~8代目天皇の在位中と仮定した。第7代孝霊天皇の推定在位期間は上記①で計算して208年~223年、②で計算して237年~252年。平均①②から算出した年代を合体させると208年~252年の間となる。卑弥呼の在位期間と略一致する。第7代孝霊天皇の娘、倭迹迹日百襲姫命についてウィキペディアには「(やまとととひももそひめのみこと/やまとととびももそひめのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。第7代孝霊天皇皇女で、大物主神(三輪山の神)との神婚譚や箸墓古墳(奈良県桜井市)伝承で知られる、巫女的な女性である。なお、『日本書紀』崇神天皇7年8月7日条に見える倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ)は諸説で百襲姫と同一視される。また本居宣長は『古事記伝』において、『日本書紀』に第8代孝元天皇の皇女として見える倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)を百襲姫と同一視する説を挙げる。墓は、宮内庁により奈良県桜井市箸中にある大市墓(箸墓古墳)に治定されている」と説明されている。上記平均①②で計算した第7代孝霊天皇在位期間と卑弥呼の在位期間とが重なっているので、卑弥呼と孝霊天皇の娘、倭迹迹日百襲姫命(百襲姫)は同一人物で、箸墓古墳が卑弥呼の墓と言うことが正解かも知れない。