林昌寺庭園 法林の庭

法林の庭は苔庭だったが、西日で苔が枯れるのでツツジに植え替えられ現在の姿となった。ツツジの大刈込を急斜面に配し、欧州庭園風デザインにまとめた豪快な庭で、大空と山を借景にし、山から吹き降りて来た風を池の上に通過させている。屋根のない家屋を連想させるデザインからも前回、記事にした高鴨神社の池庭と同じく易経「37風火家人」を表現している。前回の続きで封建時代の良家について書くことにした。外見は整った大家族の良家だが、外からは見えない問題の発生要因を抱えている。姑の夫や息子が第二、第三夫人を娶ることになると、家中で大嵐のような風が発生し女性達が団結する。第二、第三夫人として嫁ぐ娘が、嫁ぐ直前に見た大家族組織は、溶け込むことが不可能なほど力みなぎる良家で、門を前にすると足の力が抜け前進できないほどの圧迫感がある。家中の状況を伺うと姑と嫁が連携する大組織で、第二、第三夫人として嫁に入り勤めるには相当な謙虚心が必要なことを聞かされる。ついに嫁ぎ、家中に入ると居場所は与えられるが、親しくしてくれる人はおらず、家中の勤めを与えられることもなく、女中を通じ家中の状況をうかがい知る以外にやることはなく、前に進めず後に戻れない檻に入れられたようになる。とりあえずは、与えられた場所に居住し、存在感を示すしかない。解決策はただ一つ、自身が柔軟に、節度を持って伴侶の正妻、つまり家中で一番目の位を持つ姑、もしくは二番目の位を持つ嫁にすがり従うこと。そうすれば姑もしくは嫁と共に勤めが行え、指導を受けることができ、喜びを分かちあうことができる。やがて家中で存在を認めてもらえ姑や嫁と日常会話ができるようになる。姑や嫁とは背中を向け合う関係だが、夫もしくは息子の伴侶であるので、お互い心の交流があり、気をかけ合う関係となる。家中において位はなく中途半端な立ち位置のまま過ごすこの時期、多くを学ぶことができ、振り返れば一番楽しい時期となる。やがて懐妊、出産すると、家中で必要な夫人となる。しかし家中の長女(姑)や次女(妻)の座を手に入れることは不可能で、いつまでたっても家中において本筋の位をもらえない不安定な立場に置かれ、疎外感の中に居らされ続ける。第二、第三夫人の役割は生んだ子供の養育、家中の雑用処理、主人が外で受けた心の傷を癒すこと。出過ぎないよう、課せられた分限の範囲内で行動すること。この時期、多くの思慮を行い、多く学び実力を蓄えることになる。最後まで家中において本筋の位につくことはなく、ゆっくりと育つ子供を見守り、日々何の変りもないような生活を繰り返し続けて行かなければならない。やがて子供の成長と共に変化が訪れる。息子が分家すれば大家族組織から出て新居で姑の位に就くことになる。息子が養子に出ると、息子と共に養子先の家に入り、先ずは上記で経験したことを繰り返し養子先の姑と嫁の下で謙虚な暮らしを始めるが、いずれ養子先の姑の位に就き、かつて学んだことを生かすことになる。娘が正妻として嫁げば夫と共に娘にアドバイスを与える立場となる。いずれにせよ位を手に入れることができる。良家の大家族組織において、長女(姑)、次女(嫁)、三女(第二夫人)、四女(第三夫人)のパワーバランスが変化すると、位争いが生じてしまう。それぞれの夫人に女中が付いているので、もめごとが発生すると複雑になり、長女(姑)の指示が機能しなくなる。家中の人間関係が円滑でなければ家が癒しの場、教育の場でなくなるので、位を持つ姑と嫁が常に話し合い、良家として一番の益は何かを考え、もめごとを的確に解決し、家中の組織維持に努めなければならない。上述の通り第二夫人、第三夫人の家中における位は不安定であるが、息子の成長と共に重要な役割を得ることが出来、最終的に姑、もしくは姑に近い位を得ることができる。良家の大家族組織に発生する別の問題は、姑の夫と息子が外で高い位に付いており、外で激烈な闘争を行っていることから起きること。外でのストレスから家中に緊張が走り正常に大家族組織が回っている時は良いのだが、男が大きな難局を乗り越え、大成果を上げた場合、大収入あり、家中の気が緩む。家中の気が緩むと子女は世間を甘く見てしまう。祖父、父、祖母、母が勤勉なので、その反動で勤勉さを失いやすい。祖父や父の権威を笠に着ておごりたかぶり、人をあなどって身勝手にふるまいやすい。或いは優秀な兄弟姉妹について行けず放蕩に走る子女がいる。子女教育に悩まされ続ける。以上の問題を内在させた良家の大家族組織だが、権勢があるので時代の最前線に立たされ、常に社会活動のスタート地点に立たされる宿命を負い、落ち着くことがない。怠ることない情報収集と分析、決断と改革を行い、家中や親族に連携できる多くの人や優秀な子女を擁するので、常に大発展する潜在力を有している。