多賀大社が発する光を二柱の石で受け止め境内に反射させるための庭
上空から降り注ぐ太陽光、そして白壁と小砂利に反射した太陽光にて眩しいほどに明るい境内に勝元鈍穴(1810年~1889年)作のイザナギ・イザナミを画いた庭がある。爽やかな二つの五個荘外村邸宅庭と同じく、沙沙貴神社(ささきじんじゃ)呑月の庭(どんけつのにわ)も爽やかだ。これまで関西地区の神社境内で人物表現庭を見かけたのは重森三玲作の松尾大社「上古の庭」のみ、石清水八幡宮「書院前庭」はイザナミ・イザナギ神を招き入れる庭で人物表現がなかった。珍しい庭だと思う。四角い放生池、低い築山と石組、常緑樹と落葉樹を取り交ぜた樹木。拝殿から鑑賞するための簡素な庭だが、石灯籠、石橋、人物表現の石組、回遊路、池の中に水面から頭を出す石など日本庭園で見られる一通りのものが揃っている。水路から清水が流れ込み、排水し続けている。池に鯉が泳ぐ。イチョウの太い幹が見え、イザナギ、イザナミを象徴する広い平面を持つ厚みの薄い石の平面を拝殿に向け立てているので小さな庭だと感じない。小さく育てた種類の多い落葉樹(ミツバツツジ、ウメモドキ、シダレレンギョ、ヤナギ)、冬に殺風景とならない常緑樹(リズムを付加するサツキの丸刈り、それぞれ赤と白の花を咲かせるツバキ、赤い実が綺麗なナンテン、神社にふさわしいオガタマノキ)が季節ごとに花を咲かせ、秋にはカエデとイチョウが紅葉する。年中、にぎやかな庭だ。護岸石の水際にシダがあり水辺の風景も作っている。境内を囲むスギの大木と白壁の境内に庭が溶け込んでいる。庭近く権殿前には綺麗に選定された豪華なクロマツがある。迎春の象徴、梅花も境内にある。勝元鈍穴は遥拝を意識したので、境内建屋の向きを調べた。本殿、幣殿、権殿、拝殿、庭池の北のラインは神武天皇の祖父「ホオリ」と祖母「トヨタマヒメ」を祀る(対馬)和多都美神社(わたづみじんじゃ)に向け建造されていた。拝殿から鑑賞する庭なので、和多都美神社遥拝庭となる。ちなみに本殿、幣殿、権殿、拝殿は北に(福井)氣比神宮を遥拝しているので、祈りは氣比神宮に向かうようになっている。楼門及び左右の廊下に沿って西北西方向に線を伸ばすと相国寺法堂に到着した。楼門は左廊下に沿った先の相国寺を遥拝しているが、この線の左右1度未満には大宰府天満宮本殿、天龍寺、北野天満宮、妙心寺、下賀茂神社、京都御所など多くの聖地がある。楼門と(福岡)大宰府天満宮本殿を結んだ線は天龍寺境内、北野天満宮境内を通る。楼門と妙心寺大方丈を結んだ線は下賀茂神社「ただすの森」を通る。楼門と梅宮大社本殿を結んだ線は京都御所を通る。美しい境内なので神の通り道となっていると思い、多数の線をグーグル地図に引いて見た。名古屋城本丸北側の城壁ラインは(対馬)海神神社方向に合わせているが、その城壁にある西北隅楼は海神神社を遥拝し、その遥拝線が楼門南側の山野草の庭(森の中)を通過する。(京都)仙洞御所と水戸東照宮を結んだ線も山野草の庭(森の中)を通過した。山岳信仰の(日光)女峰山と(淡路島)伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を結んだ線も山野草の庭(森の中)を通過した。女峰山山頂の女峰山神社にはイザナギの内孫娘タギリヒメ(宗像三女神の一神)を祀っている。多賀大社本殿と明治天皇伏見桃山陵を結んだ線は本殿北側の森を通過した。上述したように建屋にしっかりとした遥拝先があり、神の通り道が森を通過している。拝殿が和多都美神社を遥拝しているので、ホオリ、トヨタマヒメを遥拝するための庭ではあるが、庭説明文にはイザナギ、イザナミの二柱を据えたと説明されていた。庭説明文書通り読み解くとイザナギ、イザナミを祀る多賀大社が発する光を二柱の石で受け止め境内に反射させる意、もしくは拝殿から(淡路島)伊弉諾(イザナギ)神宮を遥拝するための見印を兼ねた象徴石だと理解した。そこで石の平たい面が向いている先を定めようと考え、庭の周りをぐるぐると歩き方向を確定する目印を捜したが定めきれなかったが、どちらかと言えば多賀大社が発する光を二柱の石で受け止め境内に反射させる方向に平たい面を向けている。尚、多賀大社と伊弉諾神宮を結んだ線は当社から600m強ほどの近くを通過しているので、伊弉諾神宮を遥拝するための目印石とも取れる。この庭が境内で違和感なく存在しているのは庭の形だけでなくイザナギ、イザナミを表現した象徴石を多賀大社に向けたことによるものかも知れない。多賀大社を遥拝するための目印も兼ねている。