順路に沿い庭鑑賞すると、先ずは太陽光を受け明るく浮かび上がる鶴島に架かる二つの石橋に目がとまる。鶴島に渡るための小さい石橋を越え、鶴島を通り、深山幽谷に入るための太く長い石橋を渡ると対岸の山の中まで進めるが、そこで道が途絶え、歩いて山中に入れないことを示している。この演出が鑑賞者の心を深山幽谷の世界へと導く。細長い池が宸殿に沿って奥まで伸び、亀島付近でカエデ、シダレザクラの枝が池を覆い水面を暗くしている。池水が緑色に染まっているので、池の奥にそびえる本堂に近づくほどに池が深くなり、山奥に進んでいるように感じる。庭が作られた目的を探るためグーグル地図にて宸殿、本堂が向く方向を調べると北に(比叡山)相応和尚墓所を、南に大普賢岳山頂を遥拝していた。相応和尚墓所と大普賢岳山頂を結んだ線は当院宸殿、次いで(当院と同じく相応和尚墓所と大普賢岳山頂を遥拝する)園城寺(通称;三井寺)龍泉院本堂を通過した。東には熱田神宮本宮を、西には知恩院権現堂を遥拝していた。熱田神宮本宮と知恩院権現堂を結んだ線は宸殿の南、本堂を通過した。宸殿と本堂が遥拝する聖地の神の通過線がクロスする地点に当院がある。熱田神宮は広いので熱田神宮の中央あたりと(沖ノ島)宗像大社沖津宮を結んだ線も当院の宸殿、知恩院を通過する。よって本堂、宸殿内から東方向に庭を見ることは知恩院権現堂、宗像大社沖津宮を背にして熱田神宮を遥拝することになり、宸殿から南方向に庭を見ることは相応和尚墓所を背にして大普賢岳山頂を遥拝することになっている。神の通り道が重なっているので神が身近にいるようにも感じる。(京都)天龍寺方丈、法堂は久能山東照宮を遥拝しているが、天龍寺方丈を起点として久能山東照宮まで線を引くと、その線は天龍寺方丈東庭園にある門中央、法堂へと伸びる廊下中心線、法堂中心を貫き、勅使門を通過した後、長慶天皇嵯峨陵、鹿王院境内、広隆寺霊宝堂、二条城清流園、(久能山東照宮を遥拝する)禅林院(永観堂)総門のすぐ北側、そして当院宸殿を通過する。つまりは天龍寺方丈から方丈東庭園を鑑賞すること、或いは禅林院の総門を潜ることは久能山東照宮を遥拝するだけでなく、当寺の宸殿を遥拝することに通じている。天龍寺法堂の釈迦三尊像、夢想国師像、足利尊氏像は久能山東照宮を遥拝し、同時に上記各聖地と当院を見つめている。庭は室町時代の芸術家、相阿弥作だが、石橋、鶴島、亀島、池、石垣がスマートなので1647年(正保4年)宸殿が移築された際、徳川幕府が親王のために大きく手直ししたことが見て取れる。庭東側は白の築地塀を強調した単純構成なので、東の琵琶湖風景を借景としていたことが読み取れる。今は数本のカエデが育ち、白壁外側の樹木が巨木となり借景を目隠ししているが、本来この方向に樹木はなく、近江富士を借景としていたはずだ。本堂に登り庭を見下ろすと、琵琶湖方向に細く伸びる池に感動する。現在、カエデ、シダレザクラの枝が伸び池の大半が覆われているが、本来は本堂から池全景を見せていたはずで、東の空に月が上がると、先ずは琵琶湖に映った月が望め、次に庭の池に月が移動し、最後に鑑賞者の足元に来る構成になっている。日の出も同じく、赤い太陽が琵琶湖を染め、そして当院の池を染める。最後に本堂にいる人の心の中に月や赤い太陽が入り込む仕掛けがされている。宸殿廊下から南に庭を見ると手前に白砂が、次に細長い池が、そして迫って来る山裾の樹木、樹木の隙間から空が見える。池、山裾、空に伸びる樹木が共に細長く太いので豪快な庭だと感じる。現在は樹木が池を覆っているので陰深い世界が広がり、鶴島、亀島、山裾の庭土が細り、護岸石と護岸石の間に水が入り込み、鶴島、亀島、山裾が池の中に埋没して行くように見せている。大木となった樹木と樹木の間に見える空も細く、朦朧とした森の中に心が吸い込まれて行く。これらは鑑賞者の心を池の中、森の中に引きずり込み心を落ち着かせる効果がある。桜の花見を楽しめ、心を落ち着かせる現代らしい庭となってはいるが、これは風が通る地勢を利用したこの庭本来の姿ではない。樹木が大きくなりすぎ、風の流れを遮り、サツキの丸刈りが画くリズムが生かされていない。易経「23山地剥(さんちはく)」崩れ落ちる危なさがある庭に見えるおそれがある。本来は主に風を感じさせる梢を見せていたはずだ。本堂近くにシキミ、ツバキを育て、神の通り道の下にある庭だと示しているので、風に乗った神が通り過ぎていくように、細長い池の上を爽やかに風が通っている姿「61風沢中孚(ふうたくちゅうふ)」を見せるべきだと思う。池の上に風が通る様子で虚心が表現できる。人は偽りのない心を持つ、節度、節操ある人を信じる。親鳥が爪で卵を捕まえている形の「孚」文字のように、親は子を大いなる愛で包み、子を信じる。そのような虚心になることを親王に勧める庭なので、借景を回復させるのが難しいとしても、樹木の枝を掃い本来の風が通る庭に戻した方が美しいと思った。