城南宮庭園

城南宮の地は武家政治の開始と終了の事件発生地だ。開始は1221年、後鳥羽上皇が城南寺の仏事守護を口実に諸国の兵と有力守護を集め、鎌倉幕府の北条義時を追討する官宣旨を発し、挙兵し、承久の乱を起こした。当時、鎌倉幕府は東日本を勢力下においたが、西日本の支配は朝廷が行っていた。天皇家の血筋、河内源氏の源頼朝が満51歳で亡くなり、征夷大将軍を継いだ息子、頼家、実朝が暗殺され、天皇家の血筋ではない北条義時が政治の実権を握ったことに後鳥羽上皇が憤慨、朝廷が挙兵すれば朝敵者など出ないと高をくくり、17,500名の兵を東の美濃国に向け進軍させた。しかし思惑とは異なり、北条義時の姉で源頼朝の妻、政子が御家人を説得、幕府は19万の大軍を組織し3方向に分け西に進軍、両軍は全軍で尾張にて戦うことになるが、朝廷軍の大半は逃避、幕府軍はそのまま京都に向かい、宇治で朝廷軍を撃破し京都に入り、後鳥羽上皇、息子の順徳上皇ら承久の乱の首謀者を配流処分し、約650年にわたる武家政治を開始させた。当地は武家政治が開始することになった、その引き金を引いた承久の乱の発祥地だ。武家政治を終わらせた事件は天皇家を背乗りした西郷隆盛、岩倉具視、伊藤博文らが、自らで錦の御旗を作り、掲げ、起こした鳥羽・伏見の戦い。1868年、城南宮の西250m地点、鳥羽街道の小枝橋付近で起きた新政府軍と幕府軍との衝突により、戦いの火ぶたが切られた。城南宮のHPには「城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まったのであり、錦の御旗が翻って旧幕府軍に勝利すると薩摩の軍勢は城南宮の御加護によって勝利を得られた、と御礼参りに訪れました。」と書かれている。城南宮東側の鳥羽離宮跡には官軍の指揮所跡に見える丘があり、頂上には石碑が立てられている。武家政治始まりの事件地と同じ地にて、武家政治を終了させた戊辰戦争スタートの鳥羽・伏見の戦いの火蓋が切られた。赤い城南宮鳥居の手前に菊水若水という名水が出る手水舎があるので、地下にはとてつもないエネルギーを持つ地下水流があると想像できる。清々しい天空を望めるので、天上には多くの神々が飛び交っている様子が想像でき、本殿で神主が神に祝詞を上げ、巫女が神楽を舞い、神を降臨させている。武家政治の開始と終了を起こした事件発生地にある城南宮の本殿、手水舎を取り囲むように春の庭、平安の庭、城南離宮の庭、桃山の庭、室町の庭があり、それら庭は、雷のようなエネルギーを持って湧き出した水を流しているように見えるので、庭風景は易経「25天雷无妄」を画いていると思った。当地の歴史に照らしても、天下には天を代表する上皇、天皇も予期せぬような、あちこちに雷が轟くようなことが起きるものだということと、易経「天雷无妄」の象に重なるので、歴史にも当てはまると思う。天皇が挙兵すれば、武士は賊軍になるのを恐れ、恭順するはずだったのに、恭順されず、いとも簡単に幕府軍に負け、上皇たち首謀者は島流しにされ、天皇家は軍事権を失い、多くの所領を失い、税収入権を失った。明治維新は誰も予期しなかった天皇家が背乗りされたことで、新政府軍が錦の御旗を掲げ、幕府軍を賊軍とし、敗走させ、約650年続いた武家政治をいとも簡単に崩壊させた。この二つの歴史事件と庭風景が画く易経「天雷无妄」の教えを書き出してみた。卦辞「无妄、元亨利貞、其匪正有眚、不利有攸住」は、天下は予期せぬ出来事が起きるものなので、予期せぬ災を避け、人として生きるには正道を堅く守り、出過ぎた考えを起こさず、礼儀よくない言動を慎むべきと教えている。しかしながら人には欲があり、予期せぬ出来事に出くわすと、往々に些細な不正、出過ぎた行為に走ってしまい、それが妄念、妄想へとつながり、結果、妄言を吐き、妄動し、妄執や妄信へと突き進んでしまう。当初はたいした問題でなかったのに大問題となり、災いを受けてしまうことは、承久の乱がそれを証明している。戊辰戦争は西郷隆盛が天皇家を背乗りすることで勝てた戦いで、現在につながる政治体制を作るための革命だった。社会は自然法則で動き、歴史は繰り返すので、明治維新という天皇家を背乗りするような不自然な革命で作られた現、政治体制、官僚制度はいずれ日本古来の神々の意志で消え、日本古来の思想を基にした新しい政権、制度が作られることになると思う。「天雷无妄」は個人に対し、人は本業のみに精を出し、家庭を顧みておれば妄念に振り回されることはないと教えている。しかしながら現代人は株式、債券、投資信託、FX、ギャンブルに容易に手が出せる環境下で生きている。投資に手を染めるとマーケットの変動に一喜一憂することになり、本業がおろそかになり、健康すら損ねてしまう。ギャンブルは依存症になりやすい。家庭を顧みなければ家庭破壊につながる。本業の収入だけでは満足できない、家庭生活だけでは満足できないなど、心に湧き出す欲に沿って行動すると、妄念、妄想の世界に突入してしまい、やがて心が苦しめられる境遇に陥ってしまう。この要因は平等思想で、他人が高級料理を食べていたら同じように食べたくなり、他人が高級車に乗っておれば同じように乗りたくなり、他人が大きな家に住んでおれば同じように大きな家に住みたくなる。それらを実現させる拝金主義が横行している。マスコミは人を妄想の世界に落とし入れる拝金主義をあおっている。それらに疲れた人は、他人は他人、自分は自分と割り切り、自分らしい生き方を求め、本来の自分を取り戻す努力を行う。或いは自らに課せられた天命を知り、わき目もふらず、他人の影響を受けず天命に沿って生きる。周囲の動き、他人の動きを見ても影響されず、同じように動かないようにするには自らの体は動かさずとも、心を動かせ誘惑や影響を受けないようにしなければならない。しかしながら心の欲は全面否定すべきではなく、自らの生存のために本業に対する欲、家庭に対する欲は追求すべきだと説いている。本業の世界では利益が上がるかどうか判らない新規なものごとに取り組むように、家庭では教育効果が上がるかどうか判らなくとも子供に教育投資を行うように、本業や家庭生活を軌道に乗せ、継続させるには正しいこと、やるべきことを行い続ける必要がある。このような正しい行いへの欲は追求すべきで、本業や家庭の発展は社会発展につながるために社会も応援してくれ、その欲が災いを受けることはなく要望は順調に通る。アメリカンドリームと称する夢にて妄想の世界に多くの人を引きずり込むアメリカでは、大多数の人が欲をもとに投資、投機、ギャンブル、快楽など求め行い、妄想の世界に引きずり込まれている。その結果、街に路上生活者があふれ、軽犯罪が横行している。もし不注意で妄想の世界に迷い込んでしまえば、あちこちに危険が潜んでいることを目の当たりにする。自らの生命を脅かすような恐ろしい目にも遭う。そこでの格闘で、自らの天命を知れば、危険な妄想の世界から抜け出せる。妄想の世界から抜け出られても、身の回りには妄想で作られた世界が広がっているので、その世界からの誘惑を避けるには、妄想の世界に入らないと自らと約束をし、日々それを心がけ、天命に順って本業、家庭を守り続け、理性を持って修養を続け、自らを育て続けなければならない。やがては大きな富を蓄えるように、知識、経験、対応力を大きく蓄えた人になれ、妄想の世界から完全脱却ができると教える。「天雷无妄」は理性を持って自らをコントロールすることで妄想を無くすことができると教えるので、城南宮で方位除け祈願を行い、事業発展、家庭円満を祈ることは妄想の世界との縁を切り、本業に勤しみ、幸せな家庭を作ることだと思った。