泉涌寺御座所庭園

人界と聖域とを区切る庭

大門を潜ると広くなだらかな下り坂があり、その先に仏殿、舎利殿、御座所、霊明殿がある。これら建屋はすべて出雲大社の方角に向いている。仏殿の釈迦、弥陀、弥勒の三尊が直接出雲大社を見つめないように大門の下り坂の先に建屋を建てたと理解した。出雲大社が発する光が仏殿に反射し、仏殿を仰ぐ人々を照らし、参道を明るくしているような気がする。皇族の陵墓地なので流れている空気が異次元のような雰囲気がある。大門は出雲大社に向いて開いているが、その実、浜松城に向いているので大門で東に礼をすることは浜松城に礼をすることに通じている。仏殿、舎利殿、本坊、御座所、霊明殿は南南西には高野山金剛三昧院に向いている。よって当寺は源氏の聖地である出雲大社と金剛三昧院を遥拝していることになる。単純構成の庭だが借景庭園ではない。流れる白雲のように敷かれた白砂、細長い池、池対岸の築山からなる。白砂上と築山上に飛石はない。御座所手前から池まではコケ面、飛石が大曲りに打たれているので池までは歩いては行けるが、水際で行き止まりとなっている。行き止まりの先、池の対岸付近の石は先が尖っていて、生身の人間が決して渡ることができないことを示している。その尖った石の後ろに石塔が立てられている。石塔のある築山上に飛び石はなく、人が歩くことができない地であることを示している。築山上に目につくような石もなく築山を神域の一部として見せている。白砂も同様で、白砂上に飛び石が無く歩いてはいけないこと表現している。白砂と細長い池で人が聖域に入ることを拒み、御座所側と月輪陵側とを明確に隔てている。御座所側は人が居住する生の側、月輪陵側は歴代天皇が眠る聖なる地。生と死の世界を明確に区切っている。聖域があることを示す白壁の築地塀外側に立ち並ぶスギ、庭東側のヒノキの大木。築地塀内側には多くのカエデが植えられているので季節によって大きく風情を変える。武家庭園で良く見る木々が育っている。サツキとツツジの丸刈り、アカマツ、ヤブツバキ、アオキ、クロガネモチ、アセビなど。目を引いたのが庭の西端(御座所の西側)、金属製の手洗い鉢のすぐ傍の木々。種類の異なる約4本の木(アセビ、キンモクセイ、シキミ? チャノキ)をまとめて植え一本の木のように見せ、その木々の足元にも美しい木々を低木に育てている。剪定のうまさに感嘆する。月輪陵などのパワーにより、庭に尊厳性ある空気が流れている。東山の清清しい空気が庭に流れ込むことで木々に品格を感じる。池の中のオタマジャクシを狙ったものだと思うが蛇が泳いでいた。この庭にふさわしい光景だ。人界と聖域とを区切る庭は日本を変えるパワーを持った庭のような気がした。