本堂から庭を見ると地勢に合わせ大刈込がなだらかに下り、その先に少し見える山影を意識しているので借景庭園だったことが見て取れる。現在は周囲に多くの2階建て住宅が建ち並び高台にあるも借景を失っている。多くのサツキの丸刈りが庭を広く見せ、風や水の流れを表現している。本堂の海抜が約91m、外側の道路と約2mの高度差があるため、昭和初期まで大きな高度差がある京都市街を眺望できており、周囲の住宅が1階建てであった頃まで愛宕山、嵐山、大文字山などの山々を借景に、本堂内から借景山の変化を楽しむ庭であったことが読み取れる。ちなみに海抜約97mの芭蕉庵付近からは素晴らしい眺望が楽しめる。江戸時代の庭がどのようなものであったかまでは判らないが、与謝蕪村を中心に俳諧師や遊俳者が本堂に集い、庭を通して見える一見すると変化が少ないようだが、天候や季節で大きく変貌する山々を眺め俳句を作っていたことが想像できる。現在の庭も山中にあることを意識させる庭なので、易経「52艮為山(ごんいさん)分限に止まる」を表現していると思う。山また山の中にて他人に背を向け、他人の干渉、雑音を受け付けない状態にし、心を止め、自分の分限を守り、自分が行うべきことだけを行い自分を取り戻すことを勧めている。止めた心はやがて自然に動き出すので、ひと時、心を止めることを勧めていると思った。井伊直弼の愛人で女性工作員となり、後に晒され、一人息子が殺害された「村山たか」は山々を眺め自分自身を取り戻したのではないだろうか。