天女が遊ぶ庭のような美しい境内。1400年以上にわたり歴史ある多数の建屋を維持されて来たことが美しさの原点だと思ったが、遥拝にも起因するのではないかと思い調べて見た。飛鳥寺創建よりわずか10数年後に建立された大型伽藍寺なので、ブッダガヤの大菩提寺、或いは中国の仏教寺院を遥拝していると思っていたが、それらを遥拝していなかった。西院伽藍の五重塔、金堂、及び五重塔、金堂を囲む通路、周囲の建屋(重要文化財の食堂、綱封蔵、東室、西室、西円堂、そしてその周囲の建屋)は(福岡県宗像市)宗像(むなかた)大社辺津宮を遥拝する方向に建てられている。但し上御堂は(大島)宗像大社中津宮を遥拝し、大講堂は(大島)宗像大社中津宮方向に1度ほど時計回り方向にずれて向けている。これにより上御堂と大講堂は北方にある石清水八幡宮に向いている。石清水八幡宮に祀られている宗像三女神を遥拝するため中世において上御堂と大講堂の向きを調整したのではないのだろうか。大講堂南側の灯籠から大講堂までの参道も石清水八幡宮を遥拝する向きに伸びている。東院伽藍においても重要文化財の夢殿、伝法堂、鐘楼、及びいくつかの建屋は宗像大社辺津宮を遥拝する向きに建てられている。西院伽藍の南側、東大門と西大門とを結ぶ東西に直線に伸びる参道及び両側の築地塀は宗像大社辺津宮からやって来た方向に伸びている。東大門と(東院伽藍)四脚門を結ぶ参道は(奈良)圓照寺(山村御所)のすぐ南の池の中の弁財天社に向けて伸びている。その先には五つ塚古墳群があった。宗像大社辺津宮と(奈良)和珥坂下伝承地を結んだ線は西院伽藍の上御堂のすぐ南側を通過した。和珥坂下伝承地付近から見た法隆寺は宗像大社辺津宮を遥拝するための目印となっている。東院伽藍内、弁天池にある弁財天堂は(沖ノ島)宗像大社沖津宮を遥拝している。宗像大社沖津宮と(奈良)赤土山古墳を線で結ぶと、線は上御堂と大講堂の間を通過した。赤土山古墳の近くには東大寺山古墳群がある。赤土山古墳付近から見た法隆寺は宗像大社沖津宮を遥拝する目印となっている。このように伽藍全体と参道で西の宗像大社の辺津宮、中津宮、沖津宮を遥拝している。宗像大社はアマテラスとスサノオの娘、宗像三女神を祀っているので、法隆寺境内に天女が舞っているように感じるのは遥拝によるもの、庭に遥拝を取り入れることは遥拝先に祀る神を招き入れることに通じていると思った。